死ぬこと以外かすり傷 ( ̄▽ ̄)

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“普通”じゃない人生、せっかくだから役立てようと思います 笑

児童相談所で一時保護を受けた後の子供の話【体験談】

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虐待やネグレクトを受けている子供達を、守り・保護する場所であるのが児童相談所。これはみなさん知っていることですよね。

 

でも、保護された後のことって詳しく知らない人が大半なのではないでしょうか?

 

昨今ではドラマや漫画の題材としても児童虐待が取り上げられる為、昔と比べれば関心は高まったと思います。でも、やはりドラマや漫画はフィクションです。

 

現実ではそう“めでたしめでたし”とはいかないもんですし、「んなアホな」と思わず突っ込みたくなる要素が満載です。他の人の家庭事情に職員さんと子供達総出で向かっていったりね。んなアホな。

 

もし良かったら、読んでみてください。

 

一時保護所での保護期間

家庭環境に問題があり、家族と一緒に暮らすことができないと判断された子供達は、まず児童相談所の一時保護所にて保護されます。

 

我が家の家庭環境はゴタゴタしすぎていたため、保護期間は驚きの3ヶ月という最長記録を叩き出しましたが(ワンシーズンですよ奥さん‼︎)基本的には保護期間は1週間から3週間ほどです。

 

親御さんが親権を争っているであったり、裁判をしているであったり、家庭環境がゴタゴタして家ほど、この保護期間は長くなります。

 

傷を負ったからこそ、誰よりも優しい子供達

子供達は、性格も年齢も性別も様々。3歳の小さな子もいれば、15歳の大きなお兄さんもいました。

 

ただ不思議なことに、施設内ではほぼいざこざは起きませんでした。ただでさえぐちゃぐちゃな家庭環境のもと傷を負った子供達が集まるわけです。ストレスの持って行き場がなく、いじめとか嫌がらせとかあってもおかしくないですよね?

 

でも不思議なことに、ほぼ争いごとは起きませんでした。中には自分自身が問題を起こして児童相談所にてやってきた子もいました。その子はいわゆる“ヤンキー”だったのだけれど、不器用なだけで、とても、優しい子でした。

 

当時を振り返って思うのは、みんな心の中に“寂しさ”と“不安”を抱えていました。「これからどうなるのだろう?」というとても大きな不安です。

 

同じ不安を抱えていたからこそ、お互いに優しくなれたのかもしれません。

 

一時保護所内で辛かったこと

先ほど書いた通り、施設内でのいじめやケンカなどはほぼ発生しませんでした。当時一緒にいた子たちのことを思い出すと、むしろあったかい気持ちになれるくらいです。辛いことはもっと他のところにありました。

 

外との交流を完全にシャットアウトされること

一時保護所は、“子供達を守る”ための場所です。中には本当に問題のある親・話の通じない親もいる為、安易に外との接触を持ってしまうと子供が危険にさらされてしまうこともあるんです。大袈裟ではなくね。

 

なので基本的には外に出ることはできません。また、外からの情報もあまり入ってきませんでしたね。外の情報に触れることで、子供の心が寂しさ等によって不安定になってしまうからかもしれません。

 

テレビは確か、職員監視の下で土曜か日曜かの数時間だけだったと記憶しています。(もう十なん年前の記憶なので、曖昧な部分があります。一応、一緒に保護された弟に確認しつつ、書いてます。)

 

“外”に出れるのは施設内のほんの小さな運動場くらい。でもこれが本当にキツかった。完全に外とは隔離されているわけですからね。フェンスの中や窓から、外を眺めていました。同じくらいの年頃の子たちが、その外を普通に通るんですよ。それが本当にキツかったですね。

 

面会もあったにはあったのですが、会えるのは親戚や血縁関係にあるごく近い人や担任の先生など、とても限られていました。だから友達であったりとか、いつも話を聞いてくれていた先生であったりとか、“心の支え”になっていた人には会えなかった。すごく、寂しかったですね。

 

持ち物を一切持ち込めないこと

基本的に持ち物は全て、預けることになります。服や下着から何から、ボールペンなどももちろん。本当に“全て”です。服や下着も、施設内で用意されたものを使用します。

 

保護される子の中には、自傷行為をする子もいましたし、みんな多かれ少なかれ心に傷を負っています。だから仕方のない部分はあったのでしょうね。

 

ペンや紙も職員の監視の下、必要な時に出してもらうというスタイルです。(これは後述しますが、連絡先交換などを防ぐためもあったみたいです。)

 

時間が止まった感覚

外との交流が遮断されているため、私は”時間が止まっている感覚”がとても強かったです。単調な毎日の繰り返しで、1日がとても長く感じました。

 

これからどうなるのか、私たちはどうなるのか、右も左も分からない。外に出ることもできない。ただ、毎日を“生きる”だけ。本当にキツかった。

 

仲良くなっても期間限定のつきあいであること

上でも書きましたが、子供同士の仲は良く、お互いにたくさんの話をしました。不安な状況下だからこそ、子供同士お互いの心を支えていたのだと思います。

 

だからみんな、短い期間ではあったけれど、心の繋がりはとても深いものでした。でも、ここに入っている子たちは“家庭環境に問題を抱えている子”が大半です。だからその後の交流は一切してはいけないし、連絡先も教えてはいけない。その中だけで、成り立つ友達なんですね。

 

一度、本当に嫌で寂しくて、見えない部分の壁紙をひっぺがしてお互いに連絡先を交換したことがあります。寝る部屋に押入れがあって、その縁に鉛筆が隠されていました。前にいた子から聞いた話ですが、こうして代々受け継がれているそうです。やはりみんな、どんなに強がっていてもさびしいんですよね。

 

でも出所した子が紙を忘れていったため見つかってしまい(ツメがあますぎるやろ^^;(笑))なぜか私だけ罰せられました。(だって出所した子はもういないしね。超理不尽(-_-))

 

仲良くなっても、ある日突然いなくなってしまうんです。しかもそれが唐突にやってくる。すごく、寂しかったのを覚えています。今思い出しても、心がきゅっと痛くなります。

 

必要なのは心のケア

当時を振り返って思うのは、「もっと子供達の心のケアをして欲しかったな」ということ。

 

職員の中には優しい方もいましたが、管理しようとする方も多く、子供の心をないがしろにする方もいらっしゃいました。言うことを聞かなかった時に、罰だと言って暗い部屋に1人で寝かせたり、トラウマをからかってわざと酷いことをする人もいました。(ただでさえズタズタな心の子ばかりやのに、ほんまこれトラウマになるよ。今思い出しても腹が立つ。)

 

自分が大人になって思うことは、職員は仕事の一環でしかないし、全てを理解することはできない。もちろんそこまで背負わせてはいけない。

 

でも、もう少しだけでいいから、わがままだと思うけどもう少しだけでいいから、子供の心に寄り添って欲しかった、と思います。せめて嫌なことはしないで欲しかった。

 

あと、衝撃的だった話がひとつ。私がその一時保護所から出てからなのですが、職員による児童への猥褻行為がニュースになっていました。

 

当時そのニュースを見た時はもちろん、今なお思い出しても、本気で腹が立ち、心がすごく苦しくなります。特定を防ぐため伏せますが、多分今も調べたらそのニュースは出てくるんじゃないかな。


以上、長くなってしまいましたが、当時を振り返りながら、一時保護所でのことをまとめてみました。

 

 

多分、こんなことを書くと賛否両論の意見があると思います。そんなことを書くべきではないとかね。決して明るい話ではないですから。

 

でも、決してドラマの中のような“めでたしめでたし“では終わらないということと、虐待やネグレクトが子供に与える闇は想像以上に深いということ。いいことも悪いことも、“現実に起こっていたこと”を知ってほしいと思い、この度記事としてまとめてみました。

 

人ごとではなく、社会的にもっと虐待やネグレクトについての関心が高まりますように。そして、同じような思いをする子供達が、少しでも少なくなることを願って。

 

※特定を防ぐため伏せている部分もありますが、できるだけ当時のことをありのまま記載しています。

 

ロストボーイ IT と呼ばれた子少年期 / デイヴ・ペルザー 【本】

 

もし、児童虐待について知りたいなら、これは一度読んでみて欲しい。すごく心が痛くなるけれど、是非読んでみて欲しい一冊。フィクションだという意見もあるけれど、個人的にはフィクションであって欲しいとも願わずにいられない。