悲しい思い出は、焦点を変えて良い思い出にしちゃえ♪
過去のことなのに忘れられないことってあるよね。悲しくて悔しくてって思い出やトラウマ。
私は過去は過去だと思ってる(思うようにしてる)今を生きたーい。
だから悲しい思い出には「意識を向けない」ことを心がけてる。
「あるかないか」で言うとたしかに「ある」んだけど、過去を思い出して「悲しい」「辛い」という感情を味わわないようにしてる、という感覚。
だけど、それでも思い出してしまう時はある。自分でトラウマだと感じていることもある。ゼロにはなかなかならない。
そんな時にオススメなもう1つの方法がある。
これは、悲しい過去やトラウマに振り回されず「今を生きたい!」と思う人に、ぜひやってみてほしいこと。
「過去」は自分の都合のいいように覚えているだけのもの
昔から、心とか考えとかそういうものに対しての興味があったのね。今もいろんなものから勉強してる(勉強というと難しく考えがちだけど、“知りたい”から学んでる)
それで驚いたことなんだけどね、なんと「過去」って存在しないらしい!
私たちが信じてる“過去”ってね、私たち一人一人が解釈しただけのもの。共通の真実も事実もない。
同じものを見ても、その人によってどう思うかって変わってくるよね?
たとえば、たんぽぽを見ても「かわいい」って思う人もいれば「地味だ」って思う人もいるし、「雑草だ」と感じる人もいる。「犬のおしっこかかってそう」と思う人もいる。
だからね、過去のトラウマも出来事も、本当は私が「悲しい」って解釈しただけの記憶の断片でしかない。私が「悲しい」って感情を選んでしまってるだけ。
そしてさらにその「悲しい」を自分自身で増幅させてしまってるだけ。繰り返し思い出して、「悲しい」って味わうこととかでね。
過去って本当は、自分の都合のいいように覚えているだけのものなの。
焦点を変えてみて!
「悲しい」を「楽しい」とか「嬉しい」にすることは簡単♪
自分で「悲しい思い出」を「楽しい思い出」や「嬉しい思い出」に変換させてしまえばいいだけだから。
イメージとしては、焦点を変える。注目するポイントをずらす感じやね。
私の例
私は親から虐待を受けた経験がある。怖い人(変質者ね)に追いかけられた経験もある。
親のことについて、対処法や焦点の変え方的なことはちょくちょく書いてると思うから、今回は変質者に関する思い出を例に挙げて書くね。
あえて重い内容を書く理由は、「過去にどんな体験をしても大丈夫だよ」「自分で立ち上がろうと思えば立ち上がれるよ」って、読んだ人に信じて欲しいから。
あ、信じて欲しいのは私のエゴだけどさ(゚∀゚)
どうせなら笑って生きて欲しい。その方が人生楽しいよ。
当時私は学生で、帰宅途中に変質者に出くわした。私が徒歩で相手が自転車。追いかけてきて「エッ チして」と言われた。
その後どうなったか結論だけ言うと、たまたま駐車場から出てくる車があって、その前に飛び出して助けを求めた。
助けてくれたおばちゃん、とても親切な人でね。ホッとして泣きじゃくる私を、家の近くまで送ってくれた。
その日、後で当時付き合ってたカレさんと会う約束をしていたのね。平常心を装おうとしたんだけど、カレさんを見た途端ギャン泣き。(おばちゃんの前で泣いて彼さんの前で泣いて忙しい子)
ほんまホッとしてね、子供みたいにワンワン泣いた。
以前はこの「変質者に会った」という経験から、「外は怖い」とか「また会ったらどうしよう」とか「付け込まれる私が悪いのかな」とか思ったりもした。(結果、パニック障害を発症した。ちーん)
でも、これらも全て私が選んだ感情。
だってどれも私が思っていたことでしょ?
思っていたってことはそう信じようとしてたってこと。
「外は怖い」は、今回たまたま出くわしただけのこと。
「また会ったらどうしよう」も「会う前提」で考えてるよね。会わないかもしれないのに。
「付け込まれる私が悪いのかな」も、そんなこと誰も言ってないよねw
「帰り道には気をつけよう」と考ればいいだけだし、「そんなに魅力的だったか私〜ww」と笑いにすることだってできるw
だけど、当時はこれができなかった。
今も、「変質者に会った」っていう経験は変わらないけど、おばちゃんが助けてくれたことにフォーカスすれば、私はそこで人の暖かさを知ったわけだし。(おばちゃんありがとうっ!)
カレさんの器の大きさを知ったわけだし、(その後しばらく送り迎えしてくれたんですよこの人∑(゚Д゚)家全然近くないのに!)
ちなみにこちらの記事で、大馬鹿野郎な私を受け止めてくれた人と同一人物ねw( ̄∀ ̄)
ね、辛い思い出やトラウマも、どこに意識を向けるかだけで簡単に変えることができるのだ( ̄∀ ̄)
「忘れられない」は「忘れたくない」という自分の心の叫び
「でも忘れられないんです!」という人もいるかもしれない。
ほなさ、忘れなくていいんじゃない?( ̄∀ ̄)
ていうかさ、忘れたくないんじゃない?( ̄∀ ̄)
決してバカにしてるわけではなくてね、それって「私はこんなに怖かったのよ!」って自分の中の自分が叫んでるんだと思う。
まだそこまで傷が癒えてないんだよ。「まだ今は」忘れたくないだけなんだよ。
だから自分で「怖かったね」って素直に認めてあげたらいい。
ただ、その気持ちを「だからこんな私を受け止めなさいよ!」「受け止めてくれない!酷い!」って恋人や友達にするのは違う。それは悲劇のヒロインになって可愛そうな私に酔ってるだけ。
受け止めるかどうかは相手が決めること。相手のキャパによっては受け止められないことだってある。だから相手に委ねるんじゃなく、基本は自分で受け止める。(受け止めてくれたらさらに嬉しいけどね)
たたただ「怖かった」「辛かった」その気持ちを認めてあげる。「いつまで過去のことを」って自分フルボッコにせず、悲劇のヒロインにもならず認めてあげる。
そんで少し落ち着いたらこの方法を試してみたらいいと思う♪
もちろん試さないのもあり♪むしろ過去のことは思い出さない方がラクだってんならそれを選べばいい。
自分に合った方法で、辛い思い出やトラウマと付き合っちゃえ♪