うつ病のとき、されて嬉しかったこと嫌だったこと
大切な人がうつ病だというあなた、大切な人を支えたいと思うあなた、これはそんな人に向けて書いた記事です。
私がうつ病真っ盛りだったときを思い返し、されて嫌だったことと・嬉しかったことをまとめてみました。書いたものを読み返すと、なんて自己中で勝手な、と自分でも思います。でも、嘘偽りなく正直な気持ちを書いてみました。
もし、大切な人を支えたいと思っていて、なおかつどうすればよいか分からないのであれば、ひとつの例として何かお役に立てていただければ幸いです。
「励まそう」「楽しませよう」とはしないで
当時私にはお付き合いをしていた恋人がいました。一人暮らしだった私を心配し、彼はよく家に様子を見に来てくれていました。
そしてなんとか励まそう、元気にしようとしてくれました。同級生をつれてこようとしたり、外に連れ出そうとしたり、寄せ書きを書いて持ってきてくれようともしました。
彼は私のことを本当に大切に思っていてくれていましたし、支えようとしてくれていました。でも、うつ病真っ盛りの時は、それさえ刺激であり負担でした。本来なら嬉しいことであっても、うつ病の時はそれを受け取ることができませんでした。
頼むからやめてくれ、もうほっといてくれと、大泣きしてしまったことを今でも覚えています。頑張らないといけないのも分かっているし、必死であがこうとしても体が付いてこなくて、気持ちばかりが焦ってしまうんです。
だから、励まそう、元気付けようとはしないでほしいです。
嬉しかったのは、見守ってくれること
逆に嬉しかったのは、友達がいつもと変わらず手紙をくれることでした。症状がひどいときはまともに文字が読めなかったのですが、少し回復してきたころ、この手紙が本当にありがたかった。
彼女と私は他県に住んでおり、もともとお互いべったりとした人付き合いはしないほうなので、数年会わないこともざらでした。でも、ふとしたときにぽんと、いつもと変わらず手紙をくれるんですね。それが何よりもありがたかったです。
そして、距離感がまた絶妙でした。押しかけるでもなく、頑張れとも言わず。「何かあればいつでも言ってかけつけるから」と、そっと見守ってくれていました。本当にこれはありがたかったですね。
いつもと変わらず接してくれることはとてもありがたかった
当時の恋人ですが、私との接し方にとても悩んだといいます。どうすればよいのか、何をすれば負担にならないのか、常に全力で考えてくれていました。
そこで彼が出した答えが、「いつもと変わらず接すること」でした。今考えると、これは何よりありがたかったですね。特に励ますでもなく、元気付けるでもなく、特別なことはなにもしない。でも、ただ「顔を見に」来てくれていました。
もし、大切な人が鬱病で、何か助けになりたいと思っているのであれば、もしよければそっとそばにいてあげてください。彼女/彼は、悲観的なことをいっぱい言うし、人生に絶望しているかもしれない。
でも、もし「何かしてあげたい」と思うのであれば、何もせずただ「いつもと変わらず」そばにいてあげてほしいかなと、個人的には思います。
もちろん、あなたがもう耐えられないというのであれば、離れることもひとつの手です。あなたは自分自身を守る権利がありますし、自分自身を幸せにする義務があります。
でも、もしなにかしてあげたいと思うのであれば、特別なことはなにもせずに、「いつもと変わらず」そっと寄り添ってあげてほしいです。うつ病まっさかりの時はそれに答えることはできないけれど、後から思い出すと感謝しかないです。
こちらはとても有名な本ですよね。「欝の夫を支える妻」の立場で描かれたイラストエッセイで、決して悲観的になりすぎず、「支える」ということを考えたときにかなり参考になる一冊だと思います。
人を「支えたい」と思うあなたへ、よかったらこちらも読んでみて欲しいです。