人にも物にもしがみつかない
しがみつけばしがみつくほど、欲しいものは手に入らないとつくづく思う。
物も人も、しがみつかずに循環させることがオススメだよというお話。
しがみつくほど欲しいものが手に入らない
しがみつく人を見ていると、そういう人ほど、欲しいものが離れていってしまってるように思えてならない。
人にしがみついて執着する人ほど、人が離れていって「俺・私のことは誰も分かってくれない」と嘆いているのを何度も見てきた。
物にしがみついて執着する人ほど、物があふれかえって収拾が付かない状況になっていた。
私は、幼少期からいろんなところを転々としているので、「昔から変わらず持ち続けている」というものがほとんどない。
変わらない友人関係もないし、卒業アルバムもない。
人が嫌いなわけじゃないけれど、どんなに親しい相手でも、人とは一定の距離感が必要だと感じる。
だから、しがみついたり執着してくる人が苦手でもあるし、人や物にしがみつかず、常に風通しを良くしておくことを心がけている。
しがみつくと失うことを考えて怖くなる
しがみつくと、「失ったらどうしよう」ということばかりを考えてしまうようになる。
今現在失っていないにもかかわらず、「失ったら」という、あるかないかも分からない未来のことばかりを考えて苦しんでしまうのだ。
未来のことなんて誰にも分からない。
分かるのは、現在、今この瞬間だけ。
しがみつくと動けなくなる
しがみつくと怖くなるのと共に、しがみつくと動くことができなくなる。
精神的にがんじがらめになって動けなるのはもちろん、物理的にもたくさんのものを抱えた状態というのは動きにくい。
逆に、物は少なく、本当に大切なものだけにしぼると、いざというとき身軽に動くことができる。
自分がミニマリストだということもあるけど、これまでの経験からも、少なく所有して生きることを強くオススメするよ。
▼ちなみに「捨てるもの」については、こちらの本が参考になる
しがみつくと「大切にする」ということが分からなくなる
しがみつくと、「大切にする」ということの本質がわからなくなってしまうように思う。
たとえば、恋人や友人。
こういった関係でも、執着してくる人がいる。ちなみに私は、執着してしまったこともあるし執着されたこともある。
ただ、執着する人というのは、相手のことは考えていない。考えているのは常に自分のことだけ。
「失ったらどうしよう」
「離れていかないで」
そんなことばかりを考えて、いま目の前にいる相手のことを大切にできなくなる。
そしてそれが行き過ぎると、「本当に離れていかないだろうか」と相手を試す行為に走る。
そこに愛はないよね。あるのは、執着と束縛とエゴ。
また、執着する人の中には、クレクレさんも多いようにも思う。自分からgiveをせず、takeばかりの人たち。
「友達なら」「恋人なら」「俺のことが好きなら」いろんな言葉を隠れ蓑に、クレクレする人がいる。
ちなみに、愚痴ばかりを一方的に聞かせてくる人も、本質的にはクレクレさんと同じだと私は思っている。
相手の時間や労力を、一方的に奪い取っていくわけやからね。「私の愚痴を聞きなさいよ」というクレクレマインド。
過去、ほぼ毎日連絡してきたり、「~してよ」と何かしらにつけて当てにしてくる人がいたけれど、自分がgiveする立場になったときは恐ろしくケチで驚いた。
人の領域に土足で上がり込み、一方的に話したいことを話し、こちらの話は聞かず、与えられることばかりを考える。
そしてなんとも表現し難いが、必死で「しがみついてくる」。
「私は友達が少ない」と言っていたけど、「そりゃそうだろう」と心の中でつぶやいてしまった。
相手の時間や金銭やエネルギー。いろんなものを奪ってばかりで与えることをしないのだから。
相手となぜ一緒にいるのか?
それは「一緒にいたいから」「大切にしたいから」ではないのだろうか。
その本質を忘れちゃいけないと思う。
しがみつくことは愛ではなく執着
時々、人に執着して「こんなに●●してやっているのに!!」とのたまう人がいらっしゃる。「●●のために」と言う人もそう。
ただ、それは愛ではなく執着。
束縛や執着は愛ではない。それは、自分勝手なエゴだと私は思う。
人も物も、しがみつかずに循環させよう
人もものも、しがみつかずに循環させる。
今この瞬間、一緒にいることに感謝して、精一杯大切にする。
そうすれば、結果的には離れたとしても、相手のことを恨むこともなくなるし、感謝できるようになる。
先のことなんて誰にも分からない。
だから起こるか起こらないかも分からない未来のことは、考えるだけ無駄で消耗するだけ。(もちろん、明るい未来や叶えたい目標はどんどん想像したらええよ♪)
人も物も、一緒にいられる「今この瞬間」を大切にして、しがみつかずに循環させるべし♪