自由人法帳

「縛られず楽しく自由に生きる」がモットー

ところ変われば「当たり前」も変わる

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子供の頃からいろんなところを転々として思うこと。

 

それは、環境が変われば「当たり前」も変わるということ。

 

「当たり前」は特定のコミュニティ内での「当たり前」でしかない

所属するコミュニティが変われば、「当たり前」は変わる。

 

  • 職場
  • 職種
  • 住んでいる地域
  • 年齢や性別
  • 既婚か未婚か

 

わかりやすいものだけを例に挙げたけれど、世の中には多種多様な属性のコミュニティがある。

 

ただ、所属するコミュニティが変われば、「当たり前」も全く変わるのだ。

 

特定のコミュニティの中では「当たり前」であったことも、他のコミュニティでは当たり前ではなくなる。

 

たとえば、私は過去に結婚していたことがある。

 

当時付き合いのあった人やその地域=コミュニティ内では、亭主関白的なことは当たり前とされるものだった。

 

ちなみに私は亭主関白が大嫌い。

 

いや、正しくは、「亭主関白を免罪符にパートナーを蔑ろに扱う風潮」が大嫌い。

 

ただ、そこの地域と私が当時付き合いのあった周りの人たちは、亭主関白という価値観や、妻は我慢するもの、結婚は我慢して続けるもの、という価値観の人たちだった。

 

当時付き合いのあった人の話なんだけど、旦那さんの親と同居してて、「我慢することがいっぱいで爆発してしまう!」とその人はよく言っていた。

 

けれど私としては、「ほな、自分たちで自立して生活したらええやん」と思ってしまった。

 

同居することを選んでるのはあなた達でしょって。

 

それくらい、私とそのコミュニティの人達とは「当たり前」が違っていた。

 

小さなコミュニティの「当たり前」に縛られる必要はない

いろんな場所を転々として思うのは、小さなコミュニティの「当たり前」に縛られる必要は全くないということ。

 

そのコミュニティの中では当たり前のことであっても、それが世界の常識ではないし、他のコミュニティに行けば前のコミュニティの当たり前は当たり前ではなくなる。

 

ほんとね、いろんな場所やコミュニティを見てると、共通の「当たり前」って無いなぁって実感するよ。

 

特定の小さなコミュニティの、当たり前にしがみつく必要は全くない。

 

「合わない」と感じたら無理にしがみつかなくて良い

コミュニティにも当たり外れがある。

 

これまでいろいろなところで働いたけれど、連携をとって仕事を効率よく進められる良い職場もあれば、パワハラモラハラが横行するようなハズレの職場もある。

 

良い職場は、働くのが楽しくなるのはもちろん、あったかい気持ちになるし、仕事の効率がとても良かったりもする。

 

ハズレな職場は、互いに足の引っ張り合いをしたり、上の人間が下の人間の手柄を横取りしたり、馴れ合いになっていたりする。

 

そのコミュニティが「合わない」と感じたら、しがみつかずにさっと離れたほうがいい。

 

しがみついて自分を壊してしまうくらいなら、劣悪なコミュニティには早々に見切りをつけて、自分に合ったコミュニティを探したほうがいい。

 

その方が、よっぽど時間を有効に使える。

 

もっと広い世界を見てみよう

この記事を書いていて、ふと思い出した良い本があるので紹介したい。

 

この本は、転校が多かった学生時代に知ったコラム集なんやけど、さかなクンの記事がすごく好きなのだ。

 

内容は、魚の習性を例に挙げて、広い世界に出ることの大切さが書かれたもの。

 

狭いコミュニティに囚われることなく、もっと柔軟に人生を楽しもう。そして、悪い「当たり前」が横行しているコミュニティからは離れる勇気を。

 

ところ変われば当たり前は変わるのだ♪