人生を賢くラクに生きるコツは「わらしべ長者」
私はなんだかんだと人から物をもらうことが多い。また、私自身も人に気軽にものをあげるタイプ。
もらったものを人にあげることも多いし、私が持っているもので、欲しいという人がいれば簡単にあげてしまうことも多い。
(一方的なクレクレさんはスルーするけどね。関わってろくなことないから)
で、ふと「この状況ってわらしべ長者に似てるなぁ」と思った。
わらしべ長者のように生きていけば、人生はもっと楽で賢く自由に生きることができると思う。
もくじ
わらしべ長者とは?
「わらしべ長者」とは、ある貧しい男の人が、持っていた一本の藁を途中いろんなものと交換していき最終的には豪邸を手に入れるという昔ばなし。
年代や地域によって、話の内容には少し違いがある。
ちなみに私が知っているわらしべ長者のお話は、藁が泣いている子供のおもちゃになり、子供が泣き止む。お礼にみかんをもらう。
少し歩いていくと女性が倒れていて、水を欲しがっている。水はないがみかんならあると、みかんの果汁を飲ませる。お礼にと反物をもらう。
反物をよこせと死にかけの馬を押し付けられる。優しい男は、馬を見捨てることができず、献身的に世話をする。馬は元気を取り戻し、大変美しい姿になる。
その馬をお殿様が気にいり、お殿様に馬を譲ってくれと頼まれる。お礼に豪邸をもらう。
その豪邸に、助けた女の人がお嫁さんとしてやってきて、最終的には豪邸もお嫁さんももらっちゃったよ、というお話。
わらしべ長者的に生きるコツ
わらしべ長者のお話から、私が思うポイントは主に4つ。
その4つとは
- しがみつかない
- 出し惜しみしない
- 循環させる
- 必要としている相手に必要としているものを与える
ということ
しがみつかない
私はミニマリストで、いろんな場所も転々としている。
だから思うんだけど、しがみつくのって本当に苦しい。
人・物・場所・過去、しがみつけばつくほど、がんじがらめになってしまったり、離れて行ってしまったりして手に入らない。
また、「失ったら」を考えて怖くなる。
もしわらしべ長者が、いつまでも藁にしがみついていたらどうなっていただろうか?
おそらくいつまでたっても藁のままだと思う。みかんにもならない。
出し惜しみしない
出し惜しみというのは「損したくない」という不安から生まれる。
この「損」というのは、単純に金銭や物など物理的なものもあるけれど、「他者から傷つけられたくない(被害を被りたくない)」という精神的な気持ちなども含む。
大切な人に対して、自分の気持ちを出し惜しんだ結果、好意が伝わらずにすれ違ってしまった。お金を出し惜しんだ結果、知識を得られなかった、人から嫌われてしまったなど。
出し惜しまなければ手に入ったであろうものも、もったいながって出し惜しんだ結果、手に入らなかったり失ってしまうということもある。
もしわらしべ長者が交換したみかんを出し惜しんでいたらどうなったか?
おそらく女の人は息絶え、豪邸もパートナーと歩む未来もなかっただろう。
「俺が元気にしたんだから!」と馬を殿様に譲らなかったらどうなっていたか?
おそらく殿様に殺されて終わりだったに違いない。
循環させる
わらしべ長者の物々交換は、全て一続きの線として繋がっている。
もらったものをそこで終わりにするのではなく、次のものへと変えていくことで循環させている。
いつまでも藁を持っていても意味がないし、みかんはそこで食べてしまえば終わり。
この、手に入ったものをいかに次へと繋げるか?という考え方は、お金の使い方にしかり、ビジネスの観点にしかり、とても大切なポイントだと思う。
必要としている人に必要としているものを与える
「ほしい」と思っている人に与えることで、物の価値は上がる。
だって普通に考えたら、藁とみかんは釣り合わないだろうし、みかんとお嫁さんは釣り合わない(笑)
だけどなぜこれが成り立つのか?
それは「相手が必要としていたから」であり、「相手にとってそれが価値のあるものだったから」だ。
分かりやすく言うと、需要と供給が合っている。
藁がほしいと泣く子に、みかんをあげても意味がないし、死にかけている女の人に反物をあげても意味がない。
必要としている人に必要としているものを与えれば、物の価値は上がるのだ。
もちろん嫌な人からは離れる
とはいえ、「そんな上手くいくわけがない」「悪人に利用されるのでは?」と考える人もいることだろう。
実際、私も良いように利用されたことがある。人の善意につけ込む人はどこにでもいる。
だからその経験から私は、「嫌な人からは離れる」ということを徹底している。
世の中には良い人も悪い人もいる。だから悪い人を完全に避けることはできないし、善意を利用してやろうと近づいてくる輩もいる。
だけど、そういった人たちと付き合うか否かは、自分で選ぶことができる。
ふわっとかわしたり、「嫌だ」とはっきりと意思表示したり。
「嫌だな」「おかしいな?」と感じたら、その人から離れる。自分の身は自分で守る必要がある。
まとめ
わらしべ長者とよく似ている状況、それは少し昔の近所付き合いや「物々交換」という文化だ。
たくさんの食べ物をもらっても、自分一人では食べきれずに腐らせてしまうだけ。
それならお隣さんやご近所さんに配る。そこからコミュニケーションや人の輪が生まれ、お返しに自分が持っていなかったものをもらったりする。
自分の必要なもの以外は潔く手放してしまうこと。必要としている人に快く分け与えること。自分に必要な分だけあればいいという心づもり。
そうすれば、しがみつくことや出し惜しむこととは無縁になり、自然と循環させることにも繋がる。
わらしべ長者のように、また人からなにかをいただいたり、新たなものがやってくるようになる。
わらしべ長者のように、ふわっと身軽に生きるべし。
力まず、軽ーく軽ーく、循環させるイメージで。
そうすれば、もっと力を抜いてラクに楽しく生きていくことができると思う。