自由人法帳

「縛られず楽しく自由に生きる」がモットー

毒親・DV・モラハラからは一刻も早く逃げろ!「私が我慢すれば」はする必要のない我慢

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毒親や、DV・モラハラをするパートナーに対して、「私が我慢すれば」と思ってしまう人へ全力で伝えたいこと。

 

さっさとに逃げんさいばかちん(゚д゚)‼‼


相手を変えることはできない

はっきり言ってしまうと、あなたがどんなに泣いても・謝っても・寄り添っても・相手を変えることはできない。

 

あなたが変えられるのは、あなた自身のことだけ。

 

「私が我慢すれば」は無駄な我慢であり、する必要のない我慢だよ。(きーづーいーてー)

 

あなたが我慢することと、相手が変わることとは別。全く関係のないお話。


本人を変えられるのは本人だけ

「でも、いつか変わってくれるかもしれない。」

 

そう期待してしまう人は多いと思う。

 

大切な相手であればあるほど、期待してしまうという人や、信じたくなってしまうという気持ちはすごくわかる。

 

でもね、冷静に考えてみてほしい。

 

ほな、その「いつか」はいつ来るの?

 

その「いつか」のために、大切な「今」を犠牲にするの?

 

「変わってくれるかもしれない」は、同時に「変わってくれないかもしれない」でもある(むしろこっちのほうが割合としては高い)

 

自分のことなら自分でいくらでも変えることができる。でも、相手を変えることができるのは相手だけ。

 

どんなに優しく寄り添っても、どんなに傷ついたと言っても、相手は、相手が「変わろう」としない限りは変わらない。

 

そこに、自分の幸せをゆだねちゃダメだ。


あなたはあなたを幸せにする

「でも、優しいときもあるから…」と、庇ってしまう人は多いんじゃないかな。信じたくなる気持ちもよーくわかる。

 

ただねはっきり言うと、「大切な人に優しくする」のは当たり前のこと。

 

当たり前のことだから感謝しなくていいって言ってるんじゃないよ。大事な人なら、大事にして当たり前なんだよっていう意味ね。

 

人間だから、そりゃピリピリすることや余裕のない時はあるだろう。ただ、本当に大切な人なら、感情のゴミ箱にはしない。してはいけない。

 

「怒る」のは別にいい。「怒るな」っていうのは感情を出すなってことだからね、そりゃ無理な話。怒るのはただの自然な感情。

 

ただ、「当たり散らす」のは違う。当たり散らすのは、相手を感情のゴミ箱にしてる。

 

「優しいときもある」なんて言ってないで、あなたを大切に扱ってくれる人と一緒にいよう。

 

そんな悲しい愛もどきに縋らないで。自分を低く見積もらないで。


「人」を大切にしたいなら、まず「あなた」を大切にしなきゃ。聞いたことがある人は多いと思うけど、人を大切にできる人は自分を大切にできる人。

 

自分を大事にできて、はじめて人を大切にできる。

 

自分を蔑ろにしてくる相手とは潔く離れる勇気を。

 

勇気を持って、幸せになろう。


ちなみに

これ、全部過去の私自身のことね(笑)

 

結婚していたとき、「私が選んだんだから」「すぐに別れちゃだめだ」と、変な義務感と罪悪感で自分を縛っていたのだ。

 

確かに、「過去」にその選択をしたのは私。でもそれと、「今」離れるかどうかは別の話。

 

過去の自分を振り返ってすごく思うのは、めっちゃ世間体を気にしてるということ。自分の感情や価値観ではなく。

 

「ダメだ」って自分に言ってるのは、誰でもなく自分自身。

 

私も、すごーくばかちんだったのだ( ̄∀ ̄)

 

ただ、後悔はしてないけどね。結婚したことも離婚したことも。(くわしくはこちらからどうぞ

 

自分で選んだことであり、その経験があったから今の自分がある。

 

あなたを蔑ろにする人からは、潔く離れる勇気を♪