人生を楽しめるかどうかは「おもしろがれるかどうか」で決まる
私が思う自分自身の長所。それは、昔から「おもしろい」の感度が高いこと。
私は好奇心が旺盛である。
ゆえに、昔からいろいろと「おもしろがる」感度がすごく高いらしい。(それゆえ怒られたことも多々あるが)
でも思う。
人生が楽しくなるかどうかは、いろんなものを「おもしろがれるかどうか」で決まるんじゃないだろうかと。
「おもしろい」の感度が高いといろいろ楽しい
「おもしろい」の感度が高いと、日常生活の中でいろいろな発見が多くなる。
他の人にとってはなんてことないことでも、
「これはなぜこんなふうになっているんだろう?」
「これをこうしたらどうなるだろう?」
と好奇心が膨らむし、ワクワクが止まらなくなる。
子供がなぜあんなに毎日楽しそうなのか。それは、大人より圧倒的に「おもしろがる」スキルが高いからだと思う。
「おもしろがる」スキルが高いと、毎日がより楽しくて自由なものになる。
欠点は、価値観や感性があまり共感されたり理解されないことだ(笑)
はたから見れば、間違うことなき変人である。(まちがいなく)
「おもしろい」の感度が高いと楽しいが、理解はされない(笑)
私は集団行動が苦手。
とはいえ一応大人なので(笑)、ある程度は合わせることができる。
だからリアルでつながりがある人たちは、私が集団行動が苦手だとは思わない人もいると思う。
ただ、基本は一人で自由に動くことが大好き。だから最低限合わせた上で、ふらっと1人になることがよくある。
これは、上で書いたように、価値観や感性があまり共感されないので、一緒に楽しむことができないからだ。
また、愚痴や悪口などは苦手。嫌なことは愚痴るより解決したいと思うし、全くもって楽しくないし前に進まないから。
▼消耗するだけで得られるものがないので、愚痴や悪口ばかりの人とは全力で離れることをおすすめする。
私が、「楽しい」と思うことを口に出したら「都は本当に面白い」と言われることがある。
また、何の気なしに言った一言で爆笑されることが多々ある。
「おもしろい」の感度が高いと、楽しいが理解はされない(笑)
自分の中で「遊び」を作る
難しく考えるのはよくない。自分で自分を追い詰めて、首を締めることになる。
「つまらない」と感じるなら、そこに留まる必要はないし、「楽しい」ことに変えてしまえばいい。
▼「楽しい」ことを探しに行くという手もある(参考 リゾバで派遣先が合わない時の対処法)
たとえば、私は仕事の中でも常に「楽しい」ことを探している節がある。
同じ作業をするのでも、「いかに早くできるか」とタイムアタックをしてみたり自分の頭の中でBGMを流す(あまり面白いのをかけると吹き出すので注意)
ちなみに、階段を降りるときにMステの登場曲を流すとミュージシャンごっこができる。
自分の中で「遊び」を作ると、一気に毎日は楽しくなるよ。
もっともっとおもしろがれ!!
私は思う。
同じ時間なら、悲しいより楽しい方がいい。
ちなみにこちら、私の好きな言葉。
泣いても一生、笑うても一生、ならば今生泣くまいぞ
ドラマ「JIN-仁」の夕霧のセリフ。
これね、ぜひ見て欲しい。だだ泣きするけど、本当にいい言葉やと思う。(だだ泣きするけどなっ(゚∀゚))
時間は決まっているのだ。どうせなら、楽しい方がいい。
人生は自分次第でどうにでも楽しくなる。もっともっと人生を面白がるべし♪