自由人法帳

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身軽で自由な生き方と何かを背負う生き方はどちらが幸せなのか?|映画「マイレージ、マイライフ」を観て

映画「マイレージ、マイライフ」を観た。

 

ほかのミニマリストさんのブログで度々見かけていた映画で、以前から気になっていた作品だったのだ。

 

もくじ

 

あらすじ

主人公のライアンは、人事コンサルタント会社で働き、1年の322日はあちこち飛び回る生活をしている。

 

「人をリストラする仕事」をこなし、「バックパックの中身は?」というたとえを使ったスピーチを行うなど、身軽な生き方をこの上なく愛している。

 

また、同じく出張であちこちを飛び回る女性・アレックスとも気楽な関係を楽しんでいた。

 

ある日ライアンのもとに、若手社員・ナタリーがやってくる。ナタリーは、現地に赴いてリストラをするという現在の体制は無駄がありすぎると、テレビ電話でリストラするという新体制を提案。ライアンはナタリーの教育係として、彼女と行動を共にするようになる。

 

ライアンは、「相手の気持ちに寄り添わない解雇プロセスでは、相手を孤立無援の気持ちにさせてしまう。また、ナタリーは怒っている人の扱いに対して無知だ」と主張。

 

アレックスとナタリー、2人の女性との出逢いを通して、「しがらみのない身軽な生き方こそ幸せ」と考えていた彼の哲学が変わっていく、というお話。

 

背負わない生き方は身軽で気軽

主人公のライアンは、結婚せず・家も持たず・キャリーケース1つで身軽に飛び回る今の生活をこよなく愛している。

 

私自身、子供のころからいろんな場所を転々としていることもあり、大人になってからもひとつの場所に縛られることが苦手。いつもいろんな場所に行ってみたいと考えいている。

 

べたべたした人間関係は得意じゃなくて、近すぎる関係やウェットな関係は、窒息しそうになってしまう。

 

だからライアンの身軽な生き方にはすごくあこがれるし、共感する。

 

というかね、観ていて「あれ?これ私か?」と思った(笑)

 

なにものにも囚われない、背負わない生き方は、圧倒的に身軽で自由だ。

 

時に何かを背負うことが幸せにもつながるという矛盾

「身軽な生き方こそ素晴らしい」と思っていたライアンだけど、アレックスとナタリーに出逢ったことで変わっていく。

 

特に、アレックスに家庭があると分かった時のライアンの悲しそうな顔は印象的だ。

 

曖昧で気軽な関係ではなく、「きちんとアレックスと向き合いたい」と決心してすぐの出来事だったからね。

 

他人との深い関わりを避け、気軽な関係を望んでいたライアンは、相手にも同じように思われていたということ。

 

直前にあった妹の結婚式が、ライアンの価値観を大きく変えたんだろう。

 

その後スピーチでも、「身軽さこそ素晴らしい」という自分の哲学を、もう信じていない自分に気づき、途中で壇上から降りてしまう。

 

身軽に暮らせる自由こそ幸せだと思っていたけど、「何かを背負うことで感じる幸せ」もあるのだと気づいてしまったのだ。

 

必要以上に背追い込まず、本当に大切なものは背負う覚悟が幸せにつながる

この映画を観て思ったのは、幸せには「必要以上に背負わない」ことと同時に、「本当に大切なものは背負う覚悟」が必要なんだということ。

 

結婚直前に怖気づいた新郎に、「人生には副操縦士が必要だ」とライアンは言う。これは、ナタリーとの出会いが彼の価値観を大きく変えたのだろう。

 

また、ライアンはアレックスに「副操縦士」の役割を求めていたのかもしれない。だけどアレックスにとってライアンは、日常を忘れさせる逃避でしかなかった。

 

途中で流れるリストラされた人たちのインタビューも、「身軽さで感じる幸せ」と「何かを背負うことで感じる幸せ」の、矛盾している人間の感情の本質をよく表していた。

 

リストラされた当時は「どう養っていけばいい⁉︎」と重荷になっていた家族が、同時に「家族がいたから頑張れた」と立ち上がる意欲になった。

 

内心「ちょっと勝手すぎんじゃない?」とは思ったけど、すごく人間らしい考え方である。ラストの1人孤独に電光掲示板を見上げるライアンとの上手い対比になっていた。

 

この映画は、観る人によって解釈が変わる映画だと思う。

 

人によっては、「で、結局なにを言いたいんじゃい?」と感じる人もいるんじゃないかな。

 

ハッピーエンドを期待している人は特に、「え、せっかく変わったのに救われないの⁉︎」って感じると思う (笑)

 

長年自分の価値観を信じて生きてきた男が、価値観を変えて行動した結果がこれかよってね。物語ではたいてい、主人公の努力は報われるものやしね。

 

ただ、これこそが人生の本質なのではないだろうかと私は思う。自分の価値観を変えて行動した結果、報われることはなかった。その後彼はどうするのか、また「身軽な生き方こそ最高だ」と今までの価値観に戻っていくのか、傷つくことを恐れず「何かを背負う生き方」にシフトチェンジしていくのか。

 

「人によって無理やり変えられた」価値観ではなくて、ライアン自身が「自発的に変えた価値観である」というところがポイント。

 

この後のライアンはどう生きていくのだろう。きっとすごく自問自答するだろうし迷うと思う。すごく気になる。

 

あなたはこの映画をどう解釈するだろうか?