「女であること」がすごく嫌だった
私ね、「女」が苦手だった。女の子の集団、自分が「女」であること、全て嫌だった。
だけど最近は「あぁ私は女だったんだなぁ」ってしみじみ思うことが増えた。
なんというかね、「女であること」に良いとか悪いとかの評価をしなくなって、「あ、私って女だったんだ」って、自分が女であることをすとんって受け入れた感じ。
そして女性的なものが少しずつ好きになりつつもある(明るい色とかね。なんか最近すごく惹かれる)
女であることが嫌だった理由
なぜ私は女であることが嫌だったのか?自分自身と向き合って、理由を紐解いてみた。
好みが男の子寄りだったから
小さい時のことを思い出してみると、遊びや興味の対象などの好みが男の子よりだったと思う。戦隊ものやライダー系大好きやったし。
今でもアクション物とか大好き❤
好奇心が旺盛だから、本を読んだりすることも好きだったけど、外で遊ぶことも大好き。男の子に混じって遊んでることも多かった。野球とかキックベースとか大好きだった。
「集団」が苦手だったから
女の子って集団を作りたがるやん?あれがすごく苦手だった。今も昔も。
どこに行くにも、何するにも一緒。誰かの噂話をして、誰かの悪口を言う。
溶け込もうと頑張ったこともあったけど(あったんですよ)、ものすごく疲れてしまった。楽しいと思えなくて。
私は人と話すことも好きで寂しがりな部分はあるけれど、基本的には一人で行動する自由さが好きなんだと分かった。
「女」であることが悪いことであると刷り込まれたから
自分の中で、1番理由として大きいのはこれだと思う。
親に「女」であることを悪いことだと刷り込まれたから。
大人になった今は、おかしかったのは親の方だということがわかる。
だけど子供の頃は、親は絶対的な存在。そして認めてもらいたいと願う存在でもある。だから「私が悪い」という思考回路になってしまう。
私が女であるからいけないんだと思っていた。
「女の弱さ」を嫌という程味わったから
これはいわゆる性的なことね。詳しくは省くけど、変質者とか虐待とか。
女はね、「力」の面では、男性より弱い。
あなたが女性ならこれは忘れないでね。「女」は、物理的な「力」の面では「男」よりすごく弱い。自分を守るためにも、忘れないでほしいと思う。
ただ「女」で、ただ「男」なだけ
多分一度とことんまで苦しんで絶望したからかな。
今はね、男だ女だ、そんなことってすごくくだらないと思う。どうでもいいし、どっちでもいい。私が私であればいいし、あなたがあなたであればいい。
だって自分にはどうしようもないじゃない?
人には、生物学的に「男」と「女」という2つの種類があるだけ。そして私はその「女」として生まれてきただけ。
多分そこに、良い悪いや優れてる劣ってるというジャッジをするからしんどくなるんだと思った。
もちろん、女の体で男の心の人とか、男の体で女の心の人とか、そういう人を貶すつもりもさらさらない。私自身、自分でも中性的な部分があることを自覚しているし。
その人たちが、自分の心に従って新たな性別を選ぶこと、それもすごく素晴らしいことだと私は思う。
女であることの楽しさと素晴らしさ
「女に生まれなければ」
何度思ったか分からない。
だけど今は、「私は女なんだな」って素直に受け止めて、楽しんでる。
だって「女に生まれなければ」女であることの素晴らしさは体験できなかったわけで。
子供を産むこと、生理があること、感受性が強いこと、男の人を好きになったり男の人から好きになってもらえること。
全て私が「女であるから」経験できることだよね。(選ぶ選ばない、好む好まないは別としてね)
この記事の前の方で、「女は力の部分では弱い」って書いたけど、だからって「女が劣っている」訳ではない(一応誤解のないように)
だからね、「力」の面では男の人を頼れば良い。素直に「助けて」って言えば良いし、「ありがとう」って言えば良い。
これって全部すごく素敵なことだと私は思うし、ここに「甘えてる」とかの評価をもってくるのは違うと思う。
人に対して「あの人はいつも甘えてる」って思うのは、「私は頑張ってるのに」って気持ちの八つ当たり。
ただの得意不得意の問題なだけ。
「自分の力だけに頼るのではなく他者に素直に頼ること」は「女の強さ」なんじゃないかなと私は思う。
「力の強さ」が男の強さなら、女の強さは「柔軟性」なんじゃないかな?
男が得意なことがあって、女が得意なことがある。ただそれだけ。
女は女の楽しさや素晴らしさを感じまくって生きてやれば良いし、男は男の楽しさや素晴らしさを感じまくって生きてやれば良い。
私が私であることを楽しみ、あなたはあなたであることを楽しむ。そうすれば、男だ女だ、そんなことはすごくちっぽけな違いでしかないんだよ。きっと。