自由人法帳

「縛られず楽しく自由に生きる」がモットー

虐待サバイバーだからこそ気づいたこと

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私は虐待サバイバーで、ちょこちょこ虐待サバイバーの活動をしてたりもする。

 

(最近はその中でも「暗い気持ちになる活動」からは距離を置いてるけど)

 

先月は田中ハルさん主催の写真展「虐待サバイバー写真展」のお手伝いにふらっと行ってきた↓

 

虐待サバイバーは、ネガティブなもの・辛い過去を背負ってる人と捉えられることも多い。

 

たしかに決して明るい話じゃないもんね。笑

 

ただ、私自身ネガティブは嫌いなので、この記事では虐待サバイバーだからこそ気づいたことをまとめてみたよ。

 

「あ、こんな人もいるんかー」

「言われてみればその通りやなー」

そんなふうに心軽く読んでもらえたら嬉しい。

 

 

家庭は小さなコミュニティでしかない

子供にとって家庭は絶対的な居場所。

 

だから、その居場所が機能していない(=機能不全家庭)で育つと、自己肯定感(自分を肯定する気持ちや大切な存在だと認識する気持ち)が育たなかったり、無駄に頑張り過ぎようとしてしまったりする。

 

また、虐待やネグレクトによって、心も体も傷つく人が多い。

 

私も10代〜20代前半にかけては、心も体もボロボロに壊してしまった。

 

自分らしさを取り戻せた今は、「家庭は小さなコミュニティでしかない」と思っている。

 

私はいろんなところに行ったりいろんな面白い人に会うのも好きなので、いろんなところに出かけるし、いろんな人に会いに行った。

 

そうして感じたのは「家庭って小さなコミュニティでしかないし、その中で教えられたことが全てなわけじゃない」ということ。

 

義父(母の再婚相手)は「一家心中している家の子は偉い(親の言うことを聞いているから)」というような頭のぶっ飛んだ人やったし、母も私に「男に色目を使ってる」と言うような母性本能の薄い“女”な人だった。

 

父は、都合の良い時だけ「親であること」を主張し、払うべきものを払わず電気やガスを止めて帰ってこなくなる人だった。

 

大人になった今冷静に考えてみると、親とか以前に、そんな人たちの考え方がまともなわけないよねっていう。笑

 

子供にとって家庭は絶対的場所だけど、その絶対的場所で教えられたことが間違っている場合だってある。

 

家庭はめちゃくちゃ小さなコミュニティでしかないのだ。

 

その小さなコミュニティでの出来事が「嫌だ・辛い・おかしい」と感じたら、ぜひもっと大きな世界に出て・いろんな人に会って・いろんなものを見てみてほしい。

 

威張り腐っている親がね、なんて小さいんだろうって思えるようになる。

 

「普通」「常識」は多数派でしかない

普通や常識、私は子供の頃から何ひとつ当てはまらなかったように思う。

 

普通は電気やガスって止まらんのでしょ?

普通はお母さんがご飯作ってくれるんでしょ?

普通は家族で一緒にご飯食べていいんでしょ?

普通は日常生活の中で性的なことって知らなくて良いんでしょ?

 

世間一般でいう普通や常識って多数派でしかない。

 

だからそんなに気にしなくて良いし、それに囚われる必要もないんだなぁって思うようになった。

 

自分が生きたいように生きればいいのだ。

バカボンのイントネーションで読んでみ?いい感じに力抜けるよー笑)

 

親や親戚でも「蔑ろにされる人」からは離れていい

あと、私が1番言いたいのはこれっ!

 

親や親戚だろうが、友人や恋人だろうが先輩だろうが「あなたを蔑ろにする人」からは離れていいということ。

 

ていうか、むしろ全速力で離れてほしいと思う。笑

 

心が傷つくのはもちろん、自己肯定感や自尊心が著しく低くなるから。

 

私自身親や親戚とほぼ絶縁してるんだけど、おかげさまでやっと自尊心を取り戻すことができた。

 

そして楽しく生きられるようになった。

 

だからこそ余計に思う。あなたを大事にしない人なんて、こっちから断捨離じゃー♪

 

人をフラットに見られる

私の場合は、1番近くにいた大人であり、子供にとって絶対的存在だった親がまともじゃなかった。

 

だからこそ、肩書きや関係性に囚われず、人をフラットに見ることができると感じる。

 

社会的地位は高い人や仕事で認められている人であっても、人間としては終わってる人もいる。(It's my father❤︎検索すれば出てくるくらい、仕事では認められてる人よーん)

 

年上でも、いばり散らしたり当たり散らしたりと「精神年齢が小学生くらいで止まってるのかな★」ってなるようなおっさんおばはんもいる。

 

逆に、年齢では年下でも「この人すごい!かっこいい!」と尊敬できる人だっている。

 

肩書きも年齢も、所詮ただの記号で数字なのだ。

 

大事にしてくれない人もいるし大事にしてくれる人もいる

親や親戚は私のことを大事にしなかった。でもその一方で、血の繋がり関係なく大事にしてくれる人もいた。

 

そう考えると、酷い扱いをする人にフォーカスを当てなくて良くなる。

 

大事にしてくれる人もいれば大事にしてくれない人もいる。

 

蔑ろにした人にフォーカスを当てると執着して恨み辛みになってしまうけど、大事にしてくれる人にフォーカスを当てれば感謝になる。

 

何に意識を向けるかは自分で選べるし、同じ人生なら、私は楽しい人生がいい。

 

上でも書いたけど、大切にしてくれない人なんて、サクッとこっちから断捨離してやれ♪

 

まとめ

虐待サバイバーは、たしかに辛い過去を経験したかもしれない。

 

だけど決して「かわいそうな人」じゃない(昔言われたことある 笑)

 

辛い経験をしたからこそ、ちょっとしたことに幸せを感じたり感謝したりもできるしね。

 

どう捉えるかはほんと自分次第なのだ♪