帰る場所がなかったので帰る場所をいっぱい作ることにした
虐待サバイバーだった私は、「帰る場所」とか「実家」と呼べるものがない。
過去にはそれが寂しかったり孤独感を感じたりしたこともあったけど、現在は「帰る場所ないし帰る場所いっぱい作るか―♪」なんて思っていたりする。笑
んで、この帰る場所をいっぱい作るという生き方はとても楽しいよーということをお話させていただきたい。
帰る場所がない=どこでも行ける
私には実家がないし、子供のころからいろんなところを転々としてきた。
帰る場所がないということは、=どこへでも行けるということでもある。
移動や環境が変わることに対して慣れているので、わりと抵抗なく移動暮らし・放浪暮らしへと突入することができた。
帰る場所がないという現状に対して不安を抱く人は多いかもしれないけれど、逆に言えばどこへでも行けるのですごく自由だったりもする。
帰る場所がないので場所に固執しない
私の友人には、引っ越したことがないという人もいる。生まれたときからずっと今の家に住み続けているという人もいる。
そういう人は地元愛が強い反面、地元に固執してしまっている人も多い。
私は転々と暮らしてきたので、「好きな場所」はあってもその場所に固執するという感覚はあまりない。
地元愛の強い友人たちをみると「地元が好きなんやなあ」と思うと同時に、そこまで熱烈に固執する感覚は正直私にはわからない。
私にも「好きな場所」はある。たとえば私の都という名前の由来は、当時京都在住で京都が好きだったからだ。
(「京都在住の都ですー」で覚えてもらいやすいのもある)
今も京都は好きだけど京都に固執はしていない。友人もいるので、「近いうちにまた遊びに行きたいなー」とは思うけどね。
帰る場所は1つでなくていい
京都や大阪、よく夜行バスで通っていた東京や、現在住んでいる岡山県真庭市。
これらすべて、私の帰る場所。今後もふらっと訪れたい場所だし、1つにこだわるつもりはない。
そしてそんな場所を今後も増やしていきたいと思う。
気軽にふらっと訪れることのできる場所がたくさんある、そういう状況は楽しいし心強いし自由だ。
さいごに:帰る場所を作る生き方は楽しい
帰る場所がなかった私は、帰る場所をたくさん作ってみることにした。
そんな生き方は、自由で身軽ですごく楽しいことが分かった。
私と同じく虐待サバイバーだったり、「帰る場所がない」と孤独感を抱えている人がいるなら、ぜひ帰る場所をたくさん作る生き方をしてみてはいかがだろうか。
いろんな人と出逢うから視野も世界も広がるよ。(そしてそれぞれの世界が全然違うから面白いんだなぁ♪)