自由人法帳

「縛られず楽しく自由に生きる」がモットー

「みんな違ってみんないい」は賛成だけど「みんなと仲良くしましょう」には反対な理由

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私の基本スタンスや考え方は、「みんな違ってみんないい」

 

▼私の考え方について

自己紹介 ブログとわたしについて - 死ぬこと以外はかすり傷

 

人それぞれ、価値観も考え方もいろいろあっていいと思うし、そこに優も劣も無いと思うのね。

 

ただ、こう言うと時々勘違いする人がいるんだけど、「みんなと仲良くしましょう」とは全く思わない。

 

みんなと仲良くなんて無理でしょ

日本社会は村社会。なにかと「みんなと仲良くすること」を重んじられる。

 

でも人によって価値観が違うんだからさ、「みんな」と仲良くすることなんて無理でしょ。

 

そりゃ、合わない人でも挨拶はするしにこやかな対応はするよ。それは人として当たり前のことやと思うから。

 

ただ、必要以上に仲良くなろうとはしない。

 

私は昔から個人主義な部分が強かったので、学生時代なんかはよく「もっと輪に入れ」と先生から言われることも多かった。

 

実際がんばろうとしたこともあったんよね。輪に入ろうと。

 

でも、輪に入ろうとしたら合わなくて余計ストレスやったんよね 笑笑

 

特に女子特有の集団現象とでも言おうか、集団トイレとも言おうか、あぁ言うのがすごく苦手でね。

 

あと、やたらにベタベタしてくる人が苦手。過去、何度かえらい目にあった(^_^;)

 

「友達になってあげて」と言われて「いいよ」と言ったものの。

 

最初から、「あ、合わないな」と感じてはいた。で、その直感は当たっていた。

 

ベタベタしたい相手と、1人好きな私が合うはずが無かったのだ(笑)

 

毎日何かしらの連絡をしてくることも、何時間も電話してくることも。「私の問題」に何かと介入や干渉されることも。

 

相手の価値観からしたら、親切のつもりでやってくれてたんやと思う。

 

でもね、そもそも「合わない」のだ。

 

全ての価値観が逆なわけさ。

 

▼こちらは男女のお話やけど、価値観や考え方が違うと導く答えって違うのよ

【考え方が違うと導く答えが違う】好きだから束縛する元恋人と好きだから束縛しない私の話 - 死ぬこと以外はかすり傷

 

たとえば私の場合だと、親しい相手でも毎日は連絡しないし(相手には相手の時間があると考えるから)、何時間も電話しない(それなら日時を決めて直接会う)。

 

相手の問題は、求められない限りそっとしておく(相手には相手の価値観があると考えるから)

 

そりゃ、合うわけないよねというお話。

 

合わない相手であっても、わざわざ相手を打ち負かす必要はないよ。反対の価値観で否定したり攻撃する必要は全くない。

 

ただ、合わない人とは無理に「仲良く」なる必要もない。

 

合わないのに集団に無理に属する必要もない。

 

むしろ、みんなと仲良くしようとするから摩擦が生まれると思う。

 

「仲良く」しようとするから摩擦になる

「集団行動をしなきゃ」「みんなに合わせなきゃ」と考えていたときを振り返ると、私自身が全然楽しいと思えなかった。

 

ジャニーズにもアイドルにも興味がなかったから、とにかく会話が楽しくない。

 

興味を持とうと頑張っても無理だった 笑

 

「合わせなきゃ」としんどかった。自分がどんどん無くなっていく感じがした。

 

で、すぐまた集団から抜けて1人ふらふらするようになった(笑)

 

でも不思議なことに、その時の方が人が寄ってくる。

 

なぜかと考えたんやけど、答えはすごく簡単。

 

私自身が「自由だ」と感じて、ストレスなく、楽しく、幸せそうにニコニコしていたから。

 

幸せそうにニコニコしていると、1人でも人が寄ってくる。

 

幸せそうな人、楽しそうな人に、人は話しかけたくなるのだ。

 

みんなと「仲良く」しようとして摩擦を生むより、違いは違いとして認めて、程よい距離感を保ちながら「共存」する。

 

このほうが、結果的にみんなハッピーなんじゃないかと思う。

 

ピリピリすることもないしね。

 

合わない人とは「程よく距離を取る」ことが必要不可欠

上でも書いたけど、合わない人とは「程よく距離を取る」ことは大切。「仲良く」しようとするから摩擦になる。

 

程よい距離感を保っていれば、ストレスに感じることもないし、たまに何か言われたとしても余裕がある分受け流せる。

 

必要以上に近い距離で仲良くしようとするから、摩擦になりストレスが生じるんだと思う。

 

合わない人とは「程よく距離を取る」ことが必要不可欠。

 

ほんとね、「みんなで仲良く」じゃなくて、「合わない人とは程よい距離感で共存しましょう。そのほうが相手のことも尊重できます。」にしたほうがええと思うよ。クラスのスローガンとか。

 

「みんなと仲良くする」ことよりも、「合わない人といかに同じ社会で共存するか」を教えたほうが、この先生きていく上で、子供にとって役立つんじゃないかと思う。

 

みんな違ってみんないい≠みんなと仲良くしましょう

みんな違ってみんないい≠みんなと仲良くしましょう

 

これをすごく言いたかった。

 

たとえば、人種のるつぼと言われるアメリカは、程よくみんな住み分けしてるよね。

 

だって「お肉大好き!」な人と、「肉食は野蛮!ベジタリアンになろう!」という人とが、「仲良くなりましょう」なんて無理やん(笑)

 

お肉大好きさんにベジタリアン勧めてみ?「はぁ?おれは肉が好きなんじゃい!」ってなるし、ベジタリアンな人にお肉勧めりゃ「はぁ?バカにしてんの?」ってそりゃなるでしょうよ。

 

ちなみにどちらのニーズも満たせるよう、あちらの飲食店にはベジタリアンメニューがあるらしい(賢す)

 

これも、一種の共存だと私は思う。

 

合わないものは合わないんだってば(笑)

 

むしろ、合わない相手とは離れるからこそ、お互いを尊重できるんじゃないだろうか。