自由人法帳

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【他人の意見の扱い方】「そんな考え方もあるのね」と「この人はそう思うのね」

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つい他人の意見に左右されてしまいがちだったり、他人の意見にイラっとすることが多い人へ。

 

これは、そんな人にぜひ読んでほしい記事。

 

人と自分との間に境界線をきちんと持つ

人の意見に左右されて自分が間違ってるんじゃないかと不安に思ったり、人の意見に対してイラっとしてしまうというとき。

 

それは、人と自分との間に境界線がきちんと引けていないときに起こる。

 

他者の意見に重きを置きすぎて、自分の意見がごっちゃになってしまっている。

 

人の考え方は人の考え方

普段何気なく生活していると、人と自分とが同じ考え方をすると思ってしまいがち。

 

日本は単民族国家やし、肌の色や言葉もそんなに違うことはない。

 

そりゃ、方言や生い立ちや肌の色など、多少の違いはある。

 

ただ、アメリカみたいに、相手が白人で自分が黒人みたいな「根本から違う!」という状況はないでしょ?

 

だからつい忘れがちだけれど、本当は考えていることも価値観もみんな違う。

 

それが当たり前なのに、普段生活しているとついこれを忘れてしまいがち。

 

たとえ違っていても自分の考え方とは違うだけ

相手と意見が違うとき、その相手を攻撃する人がいる。「そんな意見はおかしい」という人や、「普通は」という言葉を使って相手を攻撃する。

 

もしくは相手を見下したりね。

 

日本は同調圧力も強いから、「違うこと」を認めない風潮は確かに存在する。

 

多数派が正しいとする風潮はいつまでたってもなくならないなぁと身をもって実感する。

 

でもほんとは、たとえ意見や考え方が違っていても、相手と自分とは意見が違うだけ

 

そこに優も劣もない。

 

優劣や正しさで考えてしまうから、相手を否定したくなるし、自分の正当性や、自分が優っているというこを誇示したくなる。

 

だから相手を攻撃する。

 

どうしても相容れないなら「そんな考え方もあるのね」と「この人はそう思うのね」でさらっと流す

どうしても相容れない相手というのはいる。確実に。

 

私は「共通の正しさ」なんてないと考えているし、「それもいいね〜」が基本スタンス。

 

だけど、人の意見を押し付けられるのは苦手。

 

【正しさで戦うことが無意味な理由】意見や方法には必ず逆のものがある。だからどれも正しいし、自分の選びたいものを選べばいい - 死ぬこと以外はかすり傷

 

自己紹介 ブログとわたしについて - 死ぬこと以外はかすり傷

 

だから、「正しさ」で戦ってくる相手や自分の意見を押し付けてくる相手とはどうしても合わないし、そういう相手とは必要以上に仲良くなろうとはしない。

 

「みんな違ってみんないい」は賛成だけど「みんなと仲良くしましょう」には反対な理由 - 死ぬこと以外はかすり傷

 

ただ、その相手を攻撃することはしない。

 

どうするかというと、「そっか、この人はそう考えるのね」でさらっと流す

 

「そういう考え方をする人もいるのね」でさらっと流す。

 

違う意見というのはどこまでいっても平行線だと思う。

 

たとえば、ベジタリアンと肉食家が、どちらかに合わせようとすれば確実に摩擦が生まれる。

 

もちろん、お互いが歩み寄って丁度良い妥協案を探す手もある。私も、パートナー間ではこれをする。

 

ただ、それは、できる相手とできない相手がいるのも事実。

 

たとえば、一方的に意見を押し付ける相手であったり、理不尽に怒り狂う相手、そもそも聞く耳を持たない相手とはこの関係が成り立たない。

 

人間関係は、1人で完結するものやなく、相手あってのことやからね。

 

それに、いつもどんな相手ともこれをするというのは、疲れ果ててしまうと思う。

 

だから、仕事関係や知り合いなど、距離がある人は「そっか〜」で流す。

 

人と自分の間にきちんと境界線を引く。そして相手のことも自分のことも否定しない。

 

「そんな考え方もあるのね」「この人はそう思うのね」と、否定も賛成もせず、ありのままをただ受け止めるだけ。

 

こうすれば腹も立たないし傷つかないし振り回されないよ♪

 

他人の意見も自分の意見も尊重させるべし♪