人生は想像以上に流動的
最近すごく思うこと。
「人生設計」という言葉があるが、私は、人生はすごく流動的なものだと思う。
というか私は、人生設計ができない(笑)
1年後のことなんて誰にもわからない
たとえば今から1年後、私はどうしているだろうか。正直全然わからない。
1年前は結婚していたし、2年前には療養生活中だった。3年前には専門学生だった。
この間全て、違う場所で生活しているし、リゾバに行ったりもしていた。
私は自分で思っている以上に、わがままで気ままでで束縛が嫌いだ。自由に生きたくて、このブログだって始めた。
私ほどじゃ無いにしても、1年後のことってみんな分かっているのだろうか?
たとえば、今年2018年は、各地で災害が多発した。台風が次から次へとやってきて、大型の地震が各地で起こった。
1年前、誰が予測できただろう?
今この瞬間を大切に、精一杯生きる
過去に起こった出来事は、戻って変えることはできないし、未来に起こる出来事は、誰にも予測することはできない。
確実に存在しているのは、今この瞬間だけ。
だから今この瞬間を、精いっぱい力の限りに生きること。
力の限りに生きるといっても、自分を追い詰めるのではなくて、明るく楽しく前向きに。自分の「好き」に貪欲に。
いつ死んでもいいと思うくらい後悔なく生きる
私は子供のころ、虐待やネグレクトを受けていた。
心身ともに、たくさんの病気も経験した。
だから子供のころから、正直いつ死んでもいいと思っていたし、むしろ早く死にたいと思っていた。
私の見ている世界と周りの人の見てる世界が違いすぎて、苦しくて苦しくて、早く楽になりたかった。
「いつ死んでもいい」
文章にすると同じ言葉だけれど、今は違う意味でこの言葉をとらえている。
今は、「いつ死んでも後悔しない」という意味だ。
確かにやりたいことはたくさんある。
「死ぬまでにやりたいことリスト」を作ったので、これを実現させるという夢や、場所や時間や人間関係に囚われず、自由気ままに生きるという目標もある。
でも多分、今はたとえいつ死んだとしてもあまり後悔しない気がする。
死んだら死んだで仕方ないなって感覚。全力で今を生きているから、正直そんなことを考える余裕がないかもしれない(笑)
必要なものだけを持って生きる
先のことなんて分からないのだから、「いつか」のために物をため込むのは、私にとってはすごくしんどい。
私は常に、今必要なものだけをもって生きるようにしている。
必要なものだけをもって生きると、物に囚われることがなくなる。
物の管理にかかっていた時間やお金を、ほかのことに使うことができる。
今は、「定住したくない」「再婚したくない」「自由に生きたい」と思っている。
けれどもしかしたら、この先家を持ちたくなるかもしれない。家族を持ちたくなるかもしれない。
また結婚するかもしれないし、もう結婚しないかもしれない。
私は好奇心旺盛な気分屋でもある。先のことなんて、本当にわからない。
でも、あれこれため込まずに必要なものだけで身軽に暮らしていれば、したいことがあったときは「ぱっ」と飛び込むことができる。
人生は想像以上に流動的
変わらないものなんて何ひとつ存在しない。
だから確実な今を精いっぱい生きること。まだ起こっていない未来を不安に思うんじゃなく、悲観するんじゃなく。
取り戻せない過去に囚われるんじゃなく。
不要なものをため込むよりも、大切なものを、きちんと大切にすること。
人生は想像以上に流動的だ。
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