気遣いとは「相手に気を遣わせないこと」
時々、過剰に気を遣う人がいる。
食べ物をあれこれ勧めてみたり、私生活に干渉して世話を焼こうとしてきたり。
あと、遅刻したときに「ごめんね」「怒ってない?」と過剰に何度も聞きまくる人とか。
人間完璧じゃないから、気を付けても遅刻してしまうときはある。
ただ、怒ってないから怒ってないと言っても、「絶対怒ってる!!」と言い続け、そのしつこさに怒ったことがある (笑)
接客でも、過剰に世話を焼こうとする人がいる。
美容室やサロンで過剰に話しかけてくる人とか、服屋さんで聞いてないのにあれこれ勧めてくる人とか。
これは完全に好みなんだろうけど、私はこういう空間に居心地の悪さを覚えるし、逃げ出したくなる。
申し訳ないけど、そういう友達からも逃げ出したくなるし、疎遠にさせていただいたこともある。
気遣いとは「相手に気を遣わせないこと」
私は思う。
「気遣い」とは、「相手を思いやること」であり、「相手に気を遣わせない空間を作ること」ではないかと。
過剰に気にすることでも、過剰に世話を焼くことでもなく。
相手にリラックスしてもらうことや、心地よさを感じてもらうことだと思う。
イメージでいうと、
- 何かあったらいつでも呼んでくださいね
- よかったらどうぞ
これこそが、本当の気遣いなのではないだろうか。
過剰な気遣いは、「私はこんなに気を遣っているのよ!」のアピールでしかない
あれこれと世話を焼こうとする人は、
「私はこんなに気を遣っているのよ!」
「分かってよ!」
「受け止めてよ!」
という気持ちの押し付けではないだろうかと最近思う。
少し趣旨がズレるけど、「若い人は食べなあかん!」とあれこれ食べ物を食べさせようとする人とか。(高齢の方に多い)
いやね、勧めてくれるのは嬉しいし、気持ちはありがたい。ただ、いらないものはいらない。
過去には「せっかく勧めてくれてるんだから」と無理して受け取っていたこともあったけど、たいていそういう人はどんどんエスカレートしていく。
だから最近ははっきりと意思表示するようにしている。
勧める側が勧める自由があるように、受け取るか断るかも相手が決めること。
人には、自分のことは自分でなんとかできる力が備わっている。
そりゃもちろん小さな子供とか、病気とか特別な事情がある場合はであれば別やし、双方合意であれば、別になんでも良いと思うけどね。
「気遣い」は気づかれないようにしよう
気遣いとは本来、相手を思いやる気持ちのことを言う。
だから「私はこんなにしてあげてるのよ!」と誇示するのは気遣いではない。
それはただの押し付けになってしまうよ。
だから過剰に気にするのではなく、相手が過ごしやすい空間を作ること。リラックスできる空間を作ること。
これこそが、気遣いの本質なのではないだろうか。
いつもあれこれ気にしすぎてしまうという人や、人の顔色を伺う癖がある人は、参考にしてみてね。
そんなに気を遣ったり心配しなくても、挨拶や困っていた時は助ける、などの気配りで十分やよ♪