自由人法帳

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みんなの『親への手紙』プロジェクト

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※この記事は、虐待サバイバーによる子供虐待防止支援 「みんなの『親への手紙』プロジェクト」へ参加したものです。

 

明るい内容ではないため、苦手な方はスルーでお願いします。

 

★名前: 都
★性別:FtX
★年齢:24歳
★職業:会社員

 

かつての人形とサンドバックより

両親へ

あなたたちは、ある意味お似合いの夫婦だったと思います。

 

外面がよく、自分の体裁ばかりを気にし、子供を支配し、ある時は承認欲求を満たすために人形のように可愛がり、ある時は負の感情をぶつけるサンドバッグにする。

 

私と弟は、あなたたちの人形でありサンドバックでしたね。

 

中でも最悪だったのが、外面だけは良かったこと。おかげさまで、児相が動くのが遅くなりましたね。

 

母へ。児相の人たちが帰った後あなたが言った「余計なことしやがって」という言葉。今でも忘れません。

 

父へ。病気で手術が必要になったと伝えたときに、あなたが言った「で、いくらかかるん?」という言葉、今でも忘れません。

 

そして2人ともお似合いだったのが、決して自分の力で幸せになることができず、他者に自分の幸せを委ねるということ。

 

母、あなたは離婚するまでの間よく泣いていましたね。幼かった私は、あなたが泣くのを見たくなかった。

 

「私たちのために我慢せんで。ママが泣いてるのは嫌。」こう言ったことをよく覚えています。

 

あなたは父と離婚したとき、すごく穏やかで嬉しそうな顔をしていましたね。私もすごく嬉しかった。

 

弟と私とあなたと3人で、これからは強く生きるんだと思っていました。

 

あなたがある日突然あいつを連れてくるまでは。

 

「都の一言で離婚に踏み切れた」と喜んでいた言葉はいつしか、「お前のせいで離婚した」「お前らさえいなければ」に変わりましたね。

 

母、あなたは私に、「お前はあいつに色目を使っている」と言っていたけど、冷静に考えてみてください。

 

10歳の女の子が、熊のようなオッサンに、はたしてそんなことをすると思いますか?

 

私はすごく、怖かった。あなたに助けて欲しかった。

 

それと同時に、「あいつと仲良くならないといけない」「父として認めなければいけない」と必死でした。

 

なぜならあなたが、父といる時より幸せそうだったから。泣いていなかったから。

 

私が我慢すればいいと思っていました。

 

でもあいつが、弟をサッカーボールのように蹴りました。弟はよく泣き叫んでいましたね。

 

助けたいけど、体が動かなかった。声が出なかった。弟が死んでしまうと思った。今、思い出しながら書くと涙が止まりません。

 

弟は当時の記憶がありません。私も、当時の記憶は靄がかかったかのように曖昧です。

 

お医者さんは、解離性障害と名前をつけました。人間は、耐えられない状況下に置かれると心を守るために記憶を消すのだそうです。

 

覚えているのは、どんなに泣いても叫んでも、誰も助けてくれなかったということ。何をしても、怒られたということ。鬱屈とした部屋、助けのない空間。

 

そして毎晩毎晩、あなたたちが「聞かせてくる」声。あなたたちの部屋のドア、廊下のドア、私の部屋のドア、全ての扉を開けて聞かせてくる「声」。聞きたくもない、あなたの「声」。

 

私は吐き気と、底知れない気持ち悪さに震え、布団を頭からかぶって耳を抑えるしかありませんでした。涙が止まりませんでした。

 

母、犬は元気ですか?私に全ての世話を押し付けていたあの子です。せめてあの子のことは、きちんと世話をしてあげて。あの子も私と同じく「生きている」のだから。

 

今でも覚えているのが、「一家心中した家の子供は偉い」という言葉。親の言うことを聞いているからだそうですね。

 

でも言わせてください、その子は偉いのではありません。無力な被害者です。

 

母、あなたは私が成人した後、接近禁止が出されているのにもかかわらず、何度か接触してこようとしましたね。

 

「私にできることがあるなら、何でも言ってください」とのことでした。

 

子供の頃も、あいつが仕事でいない時は私と弟にすがりついてきましたね。自分の心の寂しさを埋めるために。

 

おそらく、お金が尽きたのか、男に捨てられたのでしょう?

 

毎晩浴びるように酒を飲んでいましたし、相手に依存しきりでしたからね。

 

では言いますね、私のお金を返して。私がコツコツ貯めた貯金のことです。

 

私の子供時代を返して。同い年の子が得られるはずだった、普通の子供時代の幸せな思い出をください。

 

そして出来るだけ私の生活からは遠い場所で、命尽きるその時まで、絶望と苦痛を味わい続けてください。あなたが選んだ人生なのだから。

 

父へ。あなたは保護施設に会いに来てくれましたね。毎回、待ち合わせ時間の2時間は遅れて。

 

職員の人によく心配されたものですし、「口では簡単に嘘がつけるけど行動では嘘がつけない。だから行動を見ろ。」は、あなたを見て教わりました。

 

「仕方ないやろ!」「誰のおかげやと思ってるんや!」「こんなけしてやってるのに!」当時から口癖は変わりませんでしたね。

 

一緒に暮らしだしてからは、私は学校でよく職員室に呼び出されました。学費はいつ払ってくれるのかと。

 

何度言っても、あなたは笑って払い忘れていましたね。

 

車だゲームだと自分の趣味にはお金を惜しまないあなた。「お金が出せない」のではなく「お金を出さない」からどうしようもありませんでしたね。

 

学費はまだいいです。命の危機には晒されません。

 

でも、ガスや電気は困ります。帰ってこなくなるのも、連絡がつかなくなるのも、もっと困ります。

 

冬はすごく寒いです。家の中で、何度凍死すると思ったことでしょう。弟と2人、毛布にくるまって耐えました。

 

あなたの彼女に会わせてくれたことがありますね。私は仲良くしなければいけないと思いました。

 

ただ、やはり母の時と同じで、相手にとって私たちは邪魔な存在だったのでしょう。あなたの前とあなたがいない時とではまるで態度が違いました。

 

相手にとって私たちの存在は邪魔以外の何者でもないですし、当然といえば当然なのですが。

 

両親へ。人を呪わば穴二つと言いますし、せっかく掴みとった私の人生、私は私を幸せにするために使います。

 

あなたたたちを恨むことで棒に振りたくはありませんし、そんな価値すらありません。

 

親以前に、「人として」関わりたくないと思います。

 

一つだけお願いするならば、もしあなたたちに今後それぞれパートナーができても、子供を作るのだけはやめてほしい。

 

全ての子供は、愛されて望まれて生まれてこなければいけません。

 

第2の私と弟を作るくらいなら、どうかひっそりと死んでください。お願いします。

 

どこで読んだかは忘れましたが、怒りというのは相手に期待する気持ちがあるから、また、好きの反対は無関心だそうです。

 

かつての人形とサンドバックより

 

●みんなの「親への手紙」プロジェクト
 http://letters-to-parents.blogspot.com/2014/08/2018minna-tegami.html