自由人法帳

「縛られず楽しく自由に生きる」がモットー

「家族になろうよ」はしんどいので、父に「友達になろうよ」と言ってみた

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まずはじめに、私は虐待を受けて育った虐待サバイバーだ。

 

かいつまんで説明すると、

  1. 小4のときに両親が離婚。
  2. 母に引き取られるも虐待を受け、児相に保護される。
  3. 裁判で父に親権が移り父のもとへ行くも、ネグレクトに合う。

という幼少期を過ごした。

>>くわしくはこちらを読んでちょ

 

今振り返っても、子供のころは決して楽しくなかった。まさに暗黒時代であるw

 

というか、正確に言うとあまり思い出せなかったりする。人間って不思議なもので、心を守るためにあまりにも辛い記憶は消えてしまうのだ。 >>くわしくはこちら

 

で、高校3年間で100万を貯めて家を出た後は、父ともほぼほぼ絶縁状態にあったのだが、コロナだなんだでひょんなことに父と接する機会があったので、父に手紙を書いてみたというわけである。

 

この記事は、虐待サバイバーや複雑な家庭環境で育っていたり、今なおその渦中で苦しんでいる人に「こんな方法もあるよ」と選択肢の1つにでもなればいいなと思って書いている。

 

 

父に手紙を書いた理由

私の家庭環境は崩壊していた。このままだと精神的に自分がやられるかある日後ろから親を刺し〇ろしてしまうかだと思い、高校3年間のうちにバイトで100万円を貯めて家を出た。

 

何度も向き合って裏切られて傷ついて、その繰り返しで何度も絶望した。もう会うことさえないだろうと思っていたし、わしはわしの人生を思う存分生きてやると思っていた。

 

家を出た後は、専門学校に通ったり、体調を崩して休養したり、住み込み仕事などをしながらいろんなところを放浪したり、その間に出逢った人と結婚したり離婚したりした。

 

しかし、自粛だなんだで弟を訪ねた際(弟は今も父と住んでいる)に、父と会話するようになり、その中で心境の変化があった。

  

父の「やったこと」を一切許す気はない。でももう、考えただけで暗い気持ちになるような過去とは決別したいし思い出すことさえしたくないと思った。

 

ダメならダメでいい。でも1度、悲しかった気持ちも傷ついた気持ちもまとめてぶつけてみようと思った。口では上手く伝えられる自信がなかったので、私は父に手紙を書いてみることにした。

 

以下、私が書いた手紙である(誤字脱字は私の標準搭載であるw)

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いろいろありがとう!少しですが受け取ってください。ずっと言いたかったんだけど、口ではうまく伝える自信がないので手紙を書きました。

 

子供の頃、光熱費などを払ってもらえずしょっちゅう電気やガスが止まったことや、学費を払ってもらえずしょっちゅう職員室に呼び出されていたこと。家に帰ってこなくなったり、感情的になると話し合えなかったりしたことは、悲しかったし怖かったし傷つきました。

 

いまだに夢に見るし、その時は知らん間に泣いてるっぽいです。子供時代のことはほぼ思い出せんし、思い出しても悲しい思い出ばかりです。心の病気もたくさん経験しました。

 

もっと昔の小さかった頃は、父さんのことが大好きでした。楽しかった思い出もあると思います。

 

でも、心身共に離れてる期間が長すぎてどう接していいのかわからないのが本音です。

 

一般的な親子のようになるのは無理やし、家族愛はたぶん私にはよくわかりません。

 

「家族」という言葉を使われることがすごくしんどかった。必要な時に何もしてくれんかったやんって思ったし、我慢して成り立っている「鎖」のような関係だったからです。

 

たぶん、父さんは父親に向いてないし、私は娘に向いて無いと思います。笑

 

父さんに「父親」を求めるのは酷やし、私に「娘」を求めるのは酷です。

 

でも最近、少し離れた距離で友人のように接することならできるかもしれないと思いました。

 

私はとにかく人生を楽しみたい。過去に何があっても、いつまでも過去に縛られるのは嫌やし非生産的です。それになにより楽しくない。笑

 

私はこれからも旅するようにいろんな場所に行き・いろんな人に会い・いろんな価値観に触れ、人生を楽しんでいくつもりです。だから父さんも自分の人生を楽しんでほしいと思います。

 

お互い楽しく生きましょう✌︎('ω')✌︎

 

手紙を書いてみて私は気づいた。「こんなに苦しかったんだよ、傷ついたんだよ」と、きちんと父に理解してほしかったんだと。

 

なんで電気やガスが止まるのか、なんで何度言っても払わなきゃいけないお金を払ってくれないのか、なんで帰ってこなくなるのか、なんでちゃんと話を聞かずに怒鳴るのかと。

 

憎いとか腹が立つとか、それらはすべて二次感情だ。もっと素直な本当の気持ちは、ただただ悲しくて苦しかった。ちゃんと話を聞いてほしかったし、楽しい子供時代を送りたかった。

 

ただ10代の私と弟が、どんなに苦しかったのか悲しかったのか、どんな気持ちで過ごしていたのか、ちゃんと理解して欲しかった。

 

書いているうちに、辛くて蓋をした10代の頃の自分の気持ちがあふれて涙が止まらなかった。(てか今この文章を書きながらも泣いてるw)

 

父のためではなく自分のため

 上でも書いた通り、父の「やったこと」を一切許す気はない。

 

というか、やっていることは立派なネグレクトなので、どう考えても許したらいけんと思うしね。笑

 

この手紙を書いたのは、自分のためだ。

 

過去との決別であり、過去の自分を自分で癒すというつもりで書いた。

 

なお子供のころを思い出すと、胸を締め付けられるような気持になる。幼少期の体験が原因で、心身ともにたくさんの病気を経験した。精神的に弱っているときなどは未だに夢にも見るし涙も出る。

 

どんなに泣いて訴えても変わらない父。学費滞納でしょっちゅう先生には呼ばれ、いつ電気やガスが止まるかわからない、今日は帰ってくるだろうかという不安が常にある生活。

 

もう父の顔さえ見たくないし、「早くし んでくれないかな」とさえ思っていた。このままだと、私がおかしくなってしまうかふとした時に刺しころ すかだと思ったから、100万円を貯めて家を出た。

 

ずーっと重い石が心の中にあった。友人の家族がうらやましかった。どんなにほしくても努力しても手に入らないものだったからだ。

 

ネガティブなことに耐えられないので、楽しいことや面白いことに目を向け、辛い・苦しい・悲しい、そういった思いをずっと自分の中に閉じ込めて生きてきた。考えても仕方がないからである。

 

ただ、そういった思考を一切捨て、「自分は本当はどうしたいのか?何を望んでいるんだろうか?」と自分に聞いてみたところ、私は「理解してほしかった。会話がしたかった。」と気づいた。

 

そして、自分の中でも、もうこのことは終わりにしたいと思った。だから父に手紙を書いた。

 

父からの返信

朝起きると、スマホに父からLINEが届いていた。

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正直、拍子抜けした。あんなに頑固で感情的で、自分の非を認めず、ヒステリックに怒鳴っていた父が、すんなり謝罪してくると思わなかった。

 

でも読んでいるうちに、いつのまにか涙が止まらなくなった。ボロボロ泣いた。過去の自分が少し救われた気がした。

 

手紙を書いて泣いて、渡す前に読み直して泣いて、父からの返信で泣いた。大変に忙しい。笑

 

正直、父の親戚も私から見ればちょっとおかしい人たちだった。世間体をものすごく気にする人たちだし、父の母は、父が勉強しないとよく定規で叩いたそうだ。

 

私を虐待した母の親や親戚も、大人になってから考えてみると、普通の関係を築けない人たちだった。常にお互いのことを監視したり、ののしりあったり、試したり、コントロールしようとしていた。

 

虐待は連鎖するというが、もしかしたら父自身も「父親」が分からない部分があったのかもしれない。

 

家族とはなんぞや

私にとって、一般的に言う「家族」はおとぎ話だった。

 

すごく素敵で温かいものだと思った。でも物語の中のお話でファンタジーだった。経験していないので、知識としては理解できても、たぶんこの先も感覚的に「分かる」ことはないだろうと思う。

 

ただ、分からないなら無理にその関係に固執して苦しむ必要はないと思った。

 

私が人間関係において重要視するのは、「会話」であり「友情」だ。友人にしろ恋人にしろ兄弟にしろ、わたしの人間関係のベースであり必要不可欠なものはこの2つだった。

 

「家族」はしんどい。でも今なら、「友人」にならなれるかもしれないと思った。

 

正解は存在しない。自分がラクに生きられる選択が正解

 私の考え方は、一般的な考え方とは違うことが多い。というかかなり特殊っぽい。笑(よく言われるw)

 

だけど、虐待サバイバーや機能不全家庭で育った人が苦しむ理由は、親を「親」として見てしまうからであり、「家族」を期待してしまうからだと思う。

 

でも私の父親のように、「親」が向いていない人もいる。

 

勉強が得意な人や運動が得意な人がいるのと同じように、親や子育てに向いている人がいれば、向いていない人もいる。子供を産めば自動的に親になれるわけじゃない。

 

向いていない相手に、それを望むのはお互いに不幸になってしまう。

 

だったらそれに囚われず、自分がラクに生きられる選択するのがいいと私は思う。正解があるとするならば、自分が楽に生きられる選択が正解だ。

 

もちろん、どうしても相容れない関係・傷つけられる関係なら、容赦なくぶった切ってしまうのも正解だ。私も、母とは今後一切関わるつもりはない。

 

まとめ

子供のころの辛い経験は、その後の人生に暗い影を落としてしまう。許したいという気持ちと、許せないという気持ちに苦しむ人もいるだろう。

 

でもこの選択をしてから、私は長年の苦しみから解放された。今後ももしかしたら「またこういうことするんや」と父に対して絶望するかもしれないし、しないかもしれない。それは誰にもわからないけれど、今の私はこの選択のおかげでかなり心が楽になった。

 

繰り返しになるが、「父のしたこと」を許す気は一切ないし、もちろん私や弟が悪かったとは思わない。でも今は、「それはもうどうでもいい」というのが素直な気持ちかもしれない。

 

なぜなら 過去は変えられないからだ。変えられないものに時間や労力を使うよりは、今後のことで情報交換したり楽しく会話できたらいいなと思っている。

 

手段の1つとしてこういう方法もあるよーと、苦しんでいる人になにか伝わればいいなと思う。選択肢はいろんなものがあっていいし、自分が楽しく生きられる方法を選べばいいのだ。