努力や根性より、工夫する生き方が好き
最近、努力や根性という言葉が嫌いになった。
昔は根性とか努力とか好きやったけどね。
「いや、努力より工夫したほうが早いよ」って最近は思うの。
「努力」や「根性」という言葉が好きな人は、それを他者にも押し付けがち
なぜ「努力」や「根性」という言葉が嫌いになったか。
それは、努力や根性という言葉が好きな人たちは、それを他者にも押し付けがちだということを身をもって知ったから。
なにかあれば、「根性が足りん」とか、「努力しろ」とか、言う人ね。
ご年配の方に、結構いらっしゃる^^;
昔はそれを真に受けて、
「そっか、私には努力が足りないのか」
と闇雲に努力していた時期がある。
…ぶっ壊れるまでね ( ̄∀ ̄)
人によって、必要な「努力」は違う
努力や根性論を押し付ける人は、「私はこうだった、だからあんたもこうしろ」って価値観の人が多い。
わたしは、最終的なゴールにたどり着けば、その過程の方法は一つじゃなくていいと思う。
その人に合った方法で、最短距離を目指せばいいんじゃないかな。
人によって向き不向きはあるし、得意なことも違う。
Aさんに合ったやり方が、Bさんにも合うとは限らない。
根性論や努力を押し付けた結果、鬱や体をぶっ壊すこともある。
パリに行きたいと思ったら、その方法はひとつじゃないよね。飛行機もあれば陸路もあるし、船もある。
自分に合った方法を選べばいいのだ♪
「努力」より「工夫」したほうが解決する問題が多い
なぜ未だに、根性論や精神論がもてはやされるのか。
その理由は、日本人の価値観からすればこれらが美徳やからだと思う。
「我慢」を美徳とする国やからね。
ただ、その根性論や努力という言葉が、鬱になる原因を作ったり、仕事は辛くて当たり前だという価値観になったりする部分はあるんじゃないかと思う。
やみくもに努力しても解決しない問題は多い。間違った努力は、心も体も消耗するだけで、目標には全く近づいていなかったということもよくある。
大事なのは努力より、
「どうすればうまくいくだろうか?」
と工夫することなんじゃないかな。
闇雲に努力するより、どこが問題かを考えて工夫したほうが物事は解決すると思うの。
自分を知って、「努力」より「工夫」しよう♪
例えば私は、たくさんのものを管理することが苦手。多分、いろんなことに注意を払うことがすごく苦手。
だけど、少ないものなら管理できる。
自分の持ち物で、どこに何があるかは、ほぼ正確に覚えてる。(他のことに意識が向いたときに置き忘れることはあるけどね 笑)
周りと協調して、ひとつのことを継続的に長時間やり続けることは苦手。長時間「程よい集中力」を保つことができない。
だけど、閃きと瞬発力と集中力はよく褒められる。
なら、たくさんのものを管理しようと「努力」するより、少ないもので身軽に生きることを選べばいい。
みんなと同じように、一つのことを続けなきゃと「努力」するより、閃きや発想を活かして色んなことに飛び込んでみればいい。
経験上ね、私の場合そちらの方がうまくいってる (笑)
自分のことをよく知って、「努力」や「根性」で自分を追い詰めるのではなく、自分の強みを知って、最大限に活かせるように「工夫」するべし。
その方がきっと、生きやすいんじゃないかと思うよ♪