人生は線じゃなく連続する点!「嫌われる勇気」から学ぶ人生がラクになる考え方
アドラー心理の入門書「嫌われる勇気」。
数年前に流行った本で、最近また読み返してみた。その中でも、私が1番影響を受けた考え方についてご紹介したい。
こう考えるのと考えないのとでは、毎日をどう過ごすかという熱量や、生きること対してのしんどさがかなり変わってくると思う。
特に考えすぎてしまうクセがある人には、ぜひ読んでもらいたい。
人生は連続する刹那
人生設計という考え方は、人生を「線」だと考える考え方から成り立っている。
何歳までに結婚して、子供は何人でとかいろいろね。
連続する線で、ずっと続くものだと考えているから、いろんなことを計画する。というか、計画しすぎて苦しくなる。
アドラー心理では、人生は連続する点であり、刹那の連続だと考える。
刹那
1 仏語。時間の最小単位。1回指を弾く間に60あるいは65の刹那があるとされる。
2 きわめて短い時間。瞬間。「刹那の快楽に酔う」「衝突した刹那に気を失う」「刹那的な生き方」
時間は全てそれぞれが独立して存在しており、それが連続しているという考え方ね。線として途切れなく続いているのではなく。
しんどくなる人は先のことを考えすぎ!
将来の不安
- このままずっと独りぼっちで生きるんじゃないだろうか
- お金がなくなったらどうしよう
- 収入がなくなったらどうしよう
- 大きな病気や事故にあったらどうしよう
これらは全て、人生を「線」だと考えているから。
線だと考えて、先々のことを無駄に心配してしまっている状態。
ちなみに私もこの気がある。昔からわりと経験しなくていい経験をしてきたので、無駄に先のことを考えすぎてしまうクセがあるのだ。
私含め、しんどくなってしまう人はね、ほんと先々のことを考えすぎやと思う。
登山は頂上に着かないと意味がないの?
本の中では、人生を山登りにたとえた表現が出てくる。
登山家はなぜ山を登るのか。それは山を登りたいからだ。山に登りたいから登山家は山を登るのだ。
そりゃめざすのは山頂やけど、到達する以外のそれまでの過程を無意味なものだとしてしまったら、それはすごく味気ないものになってしまう。
また、本の中では旅行にもたとえている。旅行は、その場所に行って「はい終わり!」というものではない。
その場所に行くまでの行程、雰囲気、全てをひっくるめて楽しむものだ。
人生も登山や旅行と一緒だ。
そりゃ目標や夢などの叶えたいことがあるのはおおいに結構なこと。
だけど、それ以外の過程をおろそかにして、それ以外のものを排除してしまったら、なんて人生は味気ないものになってしまうだろうか。
先のことを考えすぎず、今を全力で生きよ!
人生は線ではなく、連続する刹那だ。
先のことを考えすぎるのではなく、今できることに全力で取り組み、毎日を精一杯生きること。
そうすれば、気が付いていたときには山頂にたどり着いていることだってある。
「思えば遠くに来たもんだ」という表現なんかはまさにそれ。
人生は連続する刹那なのだ。
先のことを考えすぎず、「今」を全力で生きるべし♪
▼他にも「はっ」とするような考え方がたくさん載っているので、いろいろと考えて苦しい人は、ぜひ読んでみて♪