自由人法帳

「縛られず楽しく自由に生きる」がモットー

【考え方が違うと導く答えが違う】好きだから束縛する元恋人と好きだから束縛しない私の話

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この間、恋愛の話をする機会があった。その人曰く、私はドライな女らしい。

 

恋愛の話でよくあるのが「好きだから束縛してしまう人」「束縛しない人」の話。

 

ちなみに私は、束縛はしたくもされたくもない人。

 

好きな相手のことは理解したいと思うから、相手が束縛タイプでも妥協点を見つけようとはするけど、結果的にしんどくなって別れることが多かった。

 

この2人はなぜ相容れないのか、それは答えを導くための考え方や価値観が違うから。

 

この記事では、過去の私の経験談も踏まえて書きたいと思う。

 

好きだから束縛したい人

元恋人の中には、「好きだから束縛してしまう人」もいた。

 

好きだからなるべく一緒にいたいし共有したい、他の人と遊びに行ってほしくない、行動を把握していたいという人。

 

曰く、好きだから独占したくなるとのこと。

 

 

好きだから自由にしてて欲しい人

私はこっち。私がいてもいなくても、好きな人には楽しく過ごしていて欲しいと考える。

 

もちろん相手のことは好き。だから付き合うし、「愛情」でいえばかなり濃いほうだと思う。愛情深いとはよく言われる。

 

会いたいし一緒にいたいとも思う。だけど、「君無しじゃ生きていけない」とはなって欲しくないし、そうなると心が離れてしまう部分がある。

 

好きな人とは一緒にいたいし近くにいたいとは思うけど、四六時中なにをするのも一緒というのは嫌だし、行動を制限されたり干渉されるのは嫌なのだ。

 

束縛したい人は「自分だけのものでいて欲しい」束縛しない人は「そのままのその人が好き」

思うのは、束縛したい人と束縛しない人は、同じように人を好きになるといっても、その好き」の性質がちがうんやろうなということ。

 

たとえば、お気に入りのものがあったとして、それをどう扱うかってその人によって違うよね。

 

ケースに入れて飾る人もいれば、お気に入りだからこそ毎日使う人もいる。

 

ケースに入れて飾る人から見れば、日常生活で普通に使う人のことを「お気に入りなのに大切にしていない」と感じるやろう。

 

毎日使う人から見れば、ケースに入れて飾る人のことを「大切だと言うくせに全く使わへんやん」と思うやろう。

 

同じ「好き」でも、「好き」の性質が違うんやと思う。

 

考え方が違うとそこから導く答えも違う

同じ「好き」でもそもそもの性質が違うから、そこから導く答えが違う。

 

「人を好きになる」ということは同じでも、一方は束縛し、もう一方は自由にしてて欲しいと考える。

 

束縛には、自分の中での劣等感や虚無感など、その人自身の感情や背景も複雑に絡み合っているけれど、ざっくり言うと、そこに至る考え方が違うのだ。

 

自分では「おかしいと感じることをする」≠大切にされていない

女性の中にはよく「彼から愛されていない」という人がいる。

 

だけど、話を聞いてみれば「え、十分愛されてるやん」と感じる場合が多々ある。

 

これは、その女性がその女性の「普通」で彼を見てしまった場合に生じる。(彼がきちんと伝えていない場合もあるけど)

 

大切なのは、どっちが悪いということではなくて、自分の価値観や考え方とはちがうことをされたからといって、必ずしも大切にされていないというわけではないよということ。

 

ちなみに、女性が男性に愛されているかどうかを知りたいなら、相手の言葉よりも行動を見たほうが分かりやすい。

 

言葉で伝えるのは、苦手な人も多い。

 

逆に、言葉ではいくら良いことを言ってくれても行動が伴わない場合、本気にしないほうがいい。女の人は言葉を信じてしまいがちやけど。

 

型にはめるのではなく、「相手の場合は?」と考えてみるべし♪

相手との関係が上手くいかないときは、自分の価値観で相手をジャッジしてしまっていることも多い。

 

「普通は」とか「私なら」と考えるのではなくて、「相手の場合は?」と考えてみるといいよ。

 

案外見えてくる現実が変わるかも♪