「相手がどう思うか」を気にしているうちは自分の人生を生きることができない
「相手がどう思うか」を気にしすぎる人がいる。
日本人には「察する」という文化があるし、子供のころから「人の気持ちを考えましょう」と教えられた人が多い。
だから、人の気持ちが気になりすぎてしまうのは、ある程度仕方がない部分がある。
わたしも過去に考えすぎて苦しくなっちゃった時期があるしね。
ただ、「相手がどう思うか」を気にしているうちは、自分の人生を生きることができないと思う。
「相手がどう思うか」を行動理由にすると他人の人生を生きることになる
他者のことを大切に思うことは素敵なこと。
ただ、それが「相手がどう思うか」を考えすぎることになってはいけない。
それやと、自分の行動理由が、「相手がどう思うか」に左右されてしまうことになるから。
自分の行動は「自分がどうしたいか」で決めるべし。
じゃないと、自分の人生ではなく他人の人生を生きることになってしまうよ。
相手がどう捉えるかは相手次第
「相手がどう捉えるか」は、相手次第。
バラという花を見ても、感じ方は人それぞれ。「綺麗」と捉える人もいれば、「毒々しい」「刺々しい」と捉える人もいる。
同じ事柄や言動一つにしても、「相手がどう捉えるか」は相手が決めること。
相手の領域であり、自分がどうこうできる話ではない。
だからそれを気にしても仕方のないことなのだ。(よっぽど酷い行動をしたというなら別やけども 笑)
「自分がどうしたいか」に従って行動した結果、相手が不愉快になったのは仕方のないこと
「自分がどうしたいか」に則って行動した結果、相手が不愉快に感じるということはある。
たとえば、失恋した友達が話を聞いて欲しいと言ってきたとする。
でもそのとき、あなたは精神的に参っていて、話を聞ける状況じゃなくて断った。
結果、友達が不機嫌になった。
これって仕方のないことなのね。
ではあなたは、自分を犠牲にしてでも友達の話を聞くべきだったのか?という話になる。
過去の私なら、自分を犠牲にしてでも話を聞いていたと思う。間違いなく。
でも今なら、はっきりと断ると思う。「今は体調が悪くて聞けない、ごめんね」って。
自己犠牲は自己満足。
自分を犠牲にして他者を助けるのは、一見美徳のようにも見える。
ただ、自分を犠牲にするわけだから、確実に相手に見返りを求めるようになる。
「尽くす女」が男性に嫌われる理由もこれ。
「こんなにしてあげたのに!」って思うようになってしまう。
勝手に自分を犠牲にして、勝手に尽くして、勝手に見返りを要求する。
相手からしたら「頼んでないし」っていうね 笑
これは自己満足以外の何者でもない。
要求を満たさないと離れる相手なら、相手はあなた自身ではなく「都合の良いあなた」が好きだったということ
上の、失恋した友達のたとえ話やけど、これで離れて行く相手なら、そこまでの関係だと今は思う。
なぜかというと、それで離れていく相手なら、相手はあなたが好きなわけじゃなく、「自分の都合の良いように動いてくれるあなた」が好きなだけだから。
「いい人はどうでもいい人」という言葉を昔どこかで聞いたけど、これって本当にその通りだと思う。
いい人は、「都合のいい人」であり「どうでもいい人」でしかない。
自分を殺してまで、「いい人」になっちゃダメだよ。
まとめ 「相手がどう思うか」ではなく「自分がどう思うか」を大切に
他者を大切に思うのは素敵なこと。
ただ、それが自分の行動理由を決めることになってはいけないと思う。
気にするべきなのは「相手がどう思うか」ではなく「自分がどうしたいか」。
もっと自分の心の声に耳を傾けよう。
「相手」ではなく「あなた」はどうしたい?