自由人法帳

「縛られず楽しく自由に生きる」がモットー

アダルトチルドレンを脱却のために知っておいてほしいこと

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私の親はいわゆる毒親でして。(詳しくはこちらからどうぞ)

 

今でこそ私は親と距離を置いているんだけど、過去には何度も歩み寄ろうとしたし、どうにか関係を良いものにできないかと幾度となくチャレンジしたのね。

 

で、分かったこと。

 

毒親には自覚がない

びっくりするんだけどね、毒親には、本当に自覚がまるでない。

 

子供のころ、私の家はしょっちゅうガスや電気が止まっていた。で、電気止めたことも、ガス止めたことも、毎度「あ、忘れてたー★」で終了。

 

その後改善するわけでなく、幾度となく同じことをくりかえすの。

 

どれだけ泣いても、訴えても、心に響かない。

 

何か言えば

「誰のおかげやと思ってるんや!」

「こんなにやってやってるのに!」

と逆ギレで手に負えないという状況。

 

それなのに本人は「良い親」であると信じて疑わない。

 

話が噛み合わなさすぎて、もはやホラーな現象が普通に起こる。

 

毒親には歩み寄る気はない

幾度となく話し合おうとした。

 

でも、無理なのね。

 

なぜかというと、毒親には「歩み寄る気が無い」から。

 

こちらで書いているんだけど、人間関係が成り立つのは、お互いに敬意と尊重の気持ちがあるから。

 

毒親との関係を成り立たせるためには、こちらが一方的に歩み寄るほかない。

 

子供が我慢することで、自分を押し殺すことで、成り立つのが毒親と子供の関係。

 

いじめられていた人といじめた人の認識の違いと同じ

毒親アダルトチルドレン、いじめっ子といじめられっ子の関係はよく似てると思う。

 

そこには確実な「認識の違い」が存在する。

 

いじめっ子は、いじめたことを覚えていないことも多い。

 

むしろ「え?そんなことあったっけ?★」という認識の人もいる。

 

いじめられた側は死ぬほど苦しんで、忘れられないことだとしてもね。

 

いじめた側は覚えていないし、そもそもいじめたつもりもない場合がある。

 

した側とされた側では、明確な認識の違いが存在する。

 

「親」であろうが基本の人間関係は同じ

大人になって思うのは、親もひとりの人間でしかないということ。

 

「親」という、関係性を表す名詞を持っているだけで、ひとりの人間でしかないのだ。

 

「だから許してあげよう♪」なんてことは私は言わない。それじゃ必死こいて生きてきた虐待サバイバーたちは報われない。

 

1人の人間として見たとき、あなたの目に親はどう映るだろうか?

 

私にとって親は「尊敬できない人間」であり、「関わりたくない人間」でしかない。

 

あなたをないがしろにする人間、付き合っていて潰されてしまう人間関係なら、すっぱりと関係を断ち切っていい。付き合わなくていい。

 

「親」であっても、人間関係の基本は同じ。

 

毒親には期待せず、離れて自分の人生を歩もう

アダルトチルドレンから、アダルトチルドレンで悩んでいる人に全力で伝えたいこと。

 

毒親には期待するな。

 

どれだけ時間が経っても、人間の本質を変えることはできない。

 

変わるのは、その人自身が、本気で「変わりたい」と思って行動にうつしたときのみ。

 

多分、毒親の性質上、十中八九変わらないと思う(悲観ではなくね)。

 

毒親にかける時間も、労力ももったいないよ。

 

だから、あなたはあなたのために、その労力と時間を使ってほしい。

 

毒親には本当に自覚がないよ。だからさらっと離れて、早く自分の人生を歩もう。時間はすごく大切な資産。毒親ごときに使うのは超もったいない。

 

私と同じく毒親育ちのみんな、どうか幸せになる勇気をもってね♪