他者にできることは応援することだけ
私は人の夢は応援する。
結構何言われても「いいやん!やってみたら?」という癖がある。
なぜなら、他者にできることって応援することだけだから。
どんな夢であっても、本人がやりたいならやってみればいいと思うし、挑戦してみたらいいと思う。
(※犯罪や社会的にアウトなことは除く笑)
誰にもそれを否定することも反対することもできないと思うのね。
したいならやってみたらいい。
ただ、私の好みとして、口だけで行動しない人は嫌いやし、でもでもだってを言う人と過ごす時間は楽しくないから、そういう人とは付き合わなくなるけども。
(行動しないのはその人の自由やし、誰と付き合うかは私の自由)
「失敗したらどうするの⁉︎」
「友達なら止めるべき!」
そういう意見の人もいるし、過去に私もそういうタイプの人にめちゃめちゃ干渉されたことがある。
一時期は、「私の考え方って冷たいのかな?」って真剣に悩んだ。
アダルトチルドレンは自尊心が低いのだ(笑)
で、今思うこと。
そもそも他者の人生に責任なんて持てないよ?
責任を持てるのは自分のことだけ
よく、「私がなんとかしてあげなきゃ!」と思ってしまう人がいる。
私もアダルトチルドレンMAXだった過去には、人の問題も全て抱え込んでしまうタイプだった。で、潰れた。
鬱病の経験もあるから、安易に「頑張れ」というのはいけないことなんじゃないかと思っていた時期もあった。
今は、責任を持てるのは自分のことだけだし、自分の人生を幸せにすることは自分自身の責任だと思っている。
その人の人生を幸せにすることは、その人自身の責任。
そもそも他者の人生に責任なんて持てないし、持つ必要はないんだよ。
私の意見を聞くか聞かないかもその人が選べるし、自由なんだから。
その人の幸せはその人自身が作るもの
他者の幸せはその人自身が作っていくものだし、なにを幸せに思うかはその人によって違う。
日本は島国で単民族国家。アメリカのように人種が違うということはないから忘れがちだけれど、本当は価値観も考え方もみんな違う。
私が幸せに感じることと、あなたが幸せに感じることは違う。逆もまた然り。
なのにそこにズケズケと踏み込んで、自分の価値観で他者の価値観を「おかしい」「やめろ」「絶対無理だ」と否定する。
これって考えてみたらすごく傲慢なことやよね。
私の幸せがあなたにとっても幸せだとは限らないし、あなたの幸せが私にとって幸せなことだとは限らない。
自分にとっての幸せを追求すればいいし、その人の幸せはその人自身が作るもの。
他者にできるのは応援することだけ
友達であっても家族であっても、他者ができることは応援することだけ。
だから私は全力で応援する。
その人が、夢を実現できるかどうかはその人次第。
自分の価値観で人の夢を否定したり、絶対無理だと決めつけたり、応援して失敗した時に責任を取れない!というのは、自分と他者との間に境界線を引けていない。
これってある意味傲慢な考え方やし、境界線が引けてなくて危険。人の人生は人のものなんやからさ。
心理学では「課題の分離」というんだけど、他者と自分との間にきちんと境界線を引くことはとても大切なこと。
人の人生に責任は持たなくていいし、ひとりひとりが自立して、お互いに応援できる社会になることを切に願う。
人の挑戦を叩き潰すと、結局自分の首を絞めることにもなる
▼こちら、最近見かけた記事。
活性化できない地方の問題 挑戦者をバカにし成功者を妬む構造 - ライブドアニュース
他者の挑戦を叩き潰したり、妬みや嫉みで足を引っ張ろうとした結果、自らの首を絞めることになったという内容。
ただ、妬みや嫉みって、本当はうらやましいから出てくるものなの。足を引っ張る人って、本当はその人のことがすごくうらやましい。それが妬み嫉みに変わる。
妬みや嫉みは自然な感情。私も一時期、温かい家庭に育った人を妬んでいた時期がある。今もうらやましいことはうらやましいよ。素直に「いいな♪」って思う。だって絶対に手に入らないものだからね。
だから妬みや嫉みを抱くなとは言わない。
ただ、それを他者にぶつけるのは違う。それは自分の感情の責任を他者に押し付けている。
人の挑戦は反対するよりも、応援したほうがいい。
確かに失敗はあるかもしれないけれど、挑戦しなきゃ成功は絶対にない。失敗を怖がっていたら結局何も生まれないよ。