自由人法帳

「縛られず楽しく自由に生きる」がモットー

「一生モノ」はない!全てのものは消耗品

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昔からすごく不思議だったこと。それは「一生モノ」という言葉。

 

特に私がよく聞いたのが布団。「布団は一生モノだから高いものを買ったほうがいいですよ!」布団屋さんやテレビショッピングでこんなふうなことをよく聞く。

 

でも考えてみてほしい。「子供のころから使っていた布団、今も使っているだろうか?」と。

 

もしかしたら使い続けている人もいるかもしれない。でも、とても少数派だと思う。そしてすごい。笑

 

私は思うのである。「すべてのものは消耗品だ」と。

 

 

25歳、ずーっと持ち続けているのは名前のみ

転々と暮らしていたことや家庭環境が複雑だったことはもちろん関係しているんだけど、私が昔から持ち続けているものって実は自分の名前だけだったりする。

 

苗字は何度も変わっているし、何度も移動するうちにアルバムなどのかさばるものも捨ててしまった。子供のころから変わらず持ち続けているものが本当にないのである。

 

昔はそんな自分を寂しく思ったこともあったけど、今となっては「なんて身軽なんだろうか」と思う。笑

 

必要なものはその都度変わる

いろんなところに移り住んできて分かったこと。それは、必要なものはその都度変わるということだ。

 

たとえば田舎なら、車やバイクは生活の足として必需品だ。電車やバスが発達していないし、下手したらコンビニまで車で30分ということもある(by経験者)

 

だけど都会に暮らすなら、車やバイクは必ずしも必需品じゃない。10分間隔で電車はやってくるし、市バスも100円で利用できたりする。

 

生活する環境によって、必要なものって変わってくる。

 

環境だけでなく、既婚か独身かなどのライフスタイルによっても必要なものは変わる

 

たとえば、家電製品や調理器具など。自分1人なら持たなくてもいいし、持つとしても小さなものでいい。だけど一緒に生活する人が増えるとそうはいかない。

 

私も現在は冷蔵庫もレンジもテレビも持っていないけど、人と一緒に住んでいた時は全部持っていたしね。

 

また、年月が経つことで好みが変わったりもする。私は飽きっぽい性格で好みは結構変わるほうなので、こちらもひしひしと感じてきた(笑)

 

「一生モノだから・良いものだから・高かったから」と自分を縛るのは、物を使うのではなく「物に使われている状態」

過去の自分にとってはたしかに必要なものだったかもしれない、でも今の自分にとってそれは必要だろうか?

 

こう考えてみると、結構いらないものに囲まれているということも多い。かつては使っていたけれど、今は使わなくなったものはたくさんあるんじゃないだろうか。

 

物は使われてこそ価値がある。

 

もう使わなくなったのなら、いつまでも「もったいないから」「高かったから」「一生モノだから」と持っているのはやめたほうがいい。

 

使わなくなった時点で、その物の寿命は終わっている。

 

使わないのに「一生モノだから・良いものだから・高かったから」と、どこか後ろめたくて手放せないでいるのは、物を使っているのではなく物に使われている状態だ。

 

こんな言い方をしたらあれかもしれないけど、使わなくなったものを持ち続けるのって、愛情がなくなったのにずるずると別れられないカップルと似てるなと思ってしまう。笑

 

かつては愛し合っていたけど、今は愛情が冷めてしまった。でも踏ん切りがつかなくて別れられない。

 

かつては確かに愛があったのだろう、でも今はお互いを必要としていない。考えるだけで気持ちがずーんと重くなる。

 

どうかな?本質的にはめちゃめちゃ似ていると思ってしまう。笑

 

「一生モノ」の呪縛から自由になってはいかが?

結構いろんなところで「一生モノ」という言葉は聞くけれど、私は本当の一生モノなんて存在しないんじゃないかとさえ思う。

 

ライフスタイルも好みも変わるし、その時々で必要になるものが変わってくるからだ。

 

薄情に感じるかもしれないけど、そういった意味ではすべてのものは消耗品だと私は思う。物は使ってこそ価値があるし、物に使われている状態になってはだめだ。

 

一生モノという言葉で自分を縛っているのだとしたら、それは呪縛だと思う。後ろめたくて手放せないという人は、今こそ一生モノの呪縛から自由になってみてはいかがだろうか。

 

仮に一生モノがあるとすれば、それは物じゃなくて、知識や経験・考え方などの目に見えないものだと思うよ。

お金に関する考え方や知識も、身に着けておけば一生モノやね♪