「なるべく手間をかけない暮らし」のすごさ
私はめんどくさがりだ。かつては認めたくなかったが最近はもう認めている(笑)
I am めんどくさがりである!(キリッ)
でもそんなめんどくさがりだからこそ、効率化が得意だったりする。
その中で思ったのは、「丁寧な暮らし」よりも「なるべく手間をかけない暮らし」を目指した方が、人にも自分にも優しくなれるし無理なく楽しく暮らせるよなーということだ。
「目的」を忘れてない?
「丁寧な暮らし」という言葉は、便利さを求める現代社会ではなにかともてはやされることも多い。
たしかに「丁寧な暮らし」ができる人はすごいと思う。めんどくさがりじゃなくてマメな人なんだと思う。
でも、そうじゃなきゃダメだと人を攻撃したり、批判する風潮になってしまうとしんどい。
よくある例としては、専業主婦の人が「全部手作りじゃないとダメ!」とそうでないお母さんを叩いたり、姑さんがお嫁さんを「手抜きだ」とバッシングしたりなど。
仕事をして子供を育ててってしているお母さんなんかは、この「丁寧な暮らし」を求められることは非常にストレスでありしんどいと思う。
丁寧な暮らしをしたい人はすればいいと思う。それを否定はしない。
でも、それをそうでない人にまで押し付けるのはちがうと思うし、社会全体がそれを良しとしてしまうと大変に息苦しい。
たとえば、自給自足が絶対でなんでもかんでも自分で育てろって言われたらしんどいやん?ガーデニングも自給自足も、やりたい人がするから楽しいのであって、そうでない人にまで押し付けるもんじゃないよね。
家事の目的でいえば、掃除の目的はきれいにすることで、料理の目的は美味しいご飯を作ることだ。
目的さえ達成されていれば、丁寧な暮らしであってもなるべく手間をかけない暮らしでもいいと思う。丁寧な暮らしか手間をかけない暮らしかは「手段」にしかすぎない。
そして社会全体としては、なるべく手間をかけない暮らしを推奨したほうが、忙しい人も多いので比較的生きやすくなるのではないかと思うのだ。
めんどくさいことは続かない
人間、めんどくさいことは続かないのだ。
特に私のように「めんどくさい耐性」がすこぶる低い人にとっては、めんどくさいことを続けることは拷問である(笑)
めんどくさいことをめんどくさいまま続けるよりも、工夫して効率化しちゃったほうがええやんと思ってしまう。
めんどくさいことを続けようと思ったら、「続けるための理由」が必要だし、はっきり言ってそこまでしてめんどくさいことを続けるための理由が無いのだ。
めんどくさいことはストレス
上でも書いた通り、めんどくさいことは続かない。そして何よりストレスだ。
楽しくごきげんで暮らすためには、日常で感じるストレスはなるべく少ないほうがいい。自分の人生を操縦するのは自分なので、めんどくさいことはなるべく減らしてストレスフリーに生きたほうが楽しい。
時間は有限
目に見えないものだからつい忘れてしまうかもしれないが、時間は有限だ。
なんとなーくだらだら過ごした1日も、やりたいことを全力でやった1日も同じ1日であり時間は24時間だ。
だらだら過ごした1日よりも、やりたいことに全力投球した1日のほうが満足度は高い。休みの日にだらだら過ごして気づけば夕方、「1日を無駄にしてしまった...」という経験をした人は多いのではないかと思う。なんとも満たされない気持ちになる。
時間は、あなたがしたいことのために使うためのものだ。
やりたいことのために時間もお金も体力も使う
時間と同じく、使えるお金や体力にも限りがある。
時間もお金も体力も、やりたいことに全力投球したほうが満足度は高い。手間をかけることを良しとして、いざやりたいことをしようと思ったら時間もお金も体力もなかった...なんてことになってしまうのは超もったいない。
でも、こういう状況になってしまう人はいる。家事で疲れ果ててしまうお母さん、いろーーーんなところで見聞きする。
疲れ果ててしまわないように、掃除も料理も簡単でシンプルにしてしまえばいいのだ。手間の度合いと愛情は比例しないよ。
まとめ
どうでもいいことに手間をかけるのもうやーめた!!!
こう考えて省ける手間を省きまくってからはかなり余裕ができたし、ストレスフリーな生活になった。
▼くわしくはこれらを読んでみてちょ
めんどくさがりほど効率化が得意!私の手抜き家事まとめ - 自由人法帳
そしてやりたいことに全力で取り組めるようになった。
見栄やかっこつけはやめ、自分にも人にも優しくなれる、手間をかけない暮らしを始めてみてはいかがだろうか。
▼ちなみに、手間をかけない暮らしを望むなら、シンプルライフ系の本や宇津木式美容などはすごくおすすめだ。