わかりやすいわがままでいれば物事はうまくいく
わがままと言うと、どういう人をイメージするだろうか。傍若無人で人のことを考えないというイメージだろうか。
ここでいう「わがまま」とは、自分の意見を持ち、自己主張や意思表示をしっかりするという意味でとらえてほしい。自分を偽らず取り繕わず、あるがままでいるという意味でもある。
で、思うのは、わかりやすいわがままでいれば物事はうまくいくということである。
しんどいのは我慢しているから
日本人はほんと我慢しすぎだと思う。忖度や「我慢は美徳」という文化は悪しき習慣だと私は思う。
我慢してればいいとか黙っていればいいというのは、いつの時代から価値観が止まってんねんと思ってしまう。
嫌なことは嫌だとちゃんと伝えたほうが相手からしてもわかりやすいし、我慢しない風潮が普通のことになればそれが当たり前になり、誰も不要な我慢をしなくて良くなる。
我慢するのが当たり前という風潮は、我慢する人を増やし、そうでない人を淘汰してしまうので、社会全体としてもしんどいと思う。
我慢している人は突然切れる
我慢しないほうがいい理由、それは「我慢している人はある日突然切れるから」でもある。
我慢して我慢して我慢して、ある日突然爆発。自分自身がこのタイプだという人もいるだろうし、周囲にこういった人がいるという人もいるだろう。
人の感情にどれくらい敏感であるかは個人差があるが、鈍感な人の目にはこういった人は「ある日突然切れる人」と写る。
そういった人は、我慢強い人が今までどれくらい我慢していたかとかは考えない。だからどれだけ我慢していたとしてもわからないし、伝わらない。
そういった人の目には、我慢強い人は「ある日突然切れるヤバい人」としか写らない。もしくは、切れるきっかけになったことにしか目がいかないので、「この程度で切れる器の小さい人」という認識でとらえられることも多い。
たいていの場合、我慢強い人というのは1つのことだけで切れない。コップの水があふれだすのと同じで、それまで蓄積してきたいろいろなことがあって、最後にあるきっかけで決壊するのである。
あなたがなるべく穏便に済まそうと思って我慢していたとか、いかに場の雰囲気を和ませるように頑張っていたとか、そこにはいろんな思いがあったとしてもまるで相手には伝わらないし、終いには器の小さい奴・ヤバい奴よばわりされる。
これって、なにひとついいことがない(笑)
わかりやすいわがままだとうまくいく理由
冒頭でも書いた通り、分かりやすいわがままとは、自分の意見や主張をしっかりと行うということだ。
嫌なことは嫌だといい、好きなものは好きだと言う。こういった人は、周囲からしても非常にわかりやすいので付き合いやすい。
また、好き嫌いもわかりやすいので、喜ばせやすい。人には人を喜ばせたいという気持ちがあるので、分かりやすく喜んでくれる人は、人から好感を持たれやすい。
結果、なにかとかわいがってもらえたり良くしてもらえる機会も増えるというわけだ。
我慢強い人って、一見思っていることや考えていることが分かりにくい。周囲からしたら、何を考えているかわからない人って付き合いにくいからね。
まとめ
我慢は何一つ良いことがない。むしろ目指すべきは、わかりやすいわがままだと私は思う。
傍若無人にふるまうのではなく、しっかりと意見を持ち自己主張すること。嫌なことは我慢せず嫌だということ。
嫌なことを嫌だと伝えたとしても、たいていはそれ自体のことで険悪な空気にはならない。険悪な空気になるとしたら、その伝え方がまずかったか、相手が同調圧力の強い人であるかだ。
ちゃんと自分の意見を言う&わかりやすいわがままである。これを心がければ、ほんとかなり楽に生きられるようになる。
本音で生きるのって最強のライフハックやと思う。