「なんのために生きているのか」の答えは「楽しむために生きてるんだ」
アンジェラ・アキの「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」という歌があるけど、ふと過去の自分が考えていたことの答えが見つかったので記事にした。
大袈裟かもしれんけど、過去の私はもちろん、いじめられてるとか家庭が崩壊してるとか虐待を受けているとか彼女に振られたとか(笑)、そんないろーーーんな理由で「なんのために生きているんやろ」ってわからんくなっちゃった人への回答になったら嬉しいなと思う。
▼ちなみに歌はこれね(知らん人はあんまおらんと思うけど念のためw)
15の私は「なんで生きているのか」わからなかった
なんか最近この話しすぎてあんま楽しくないんだが(笑)、私は虐待を受けて育った虐待サバイバーだ。
虐待を受けて保護されたり、電気やガスが止まったり、学費滞納でしょっちゅう呼び出される、そんな子供時代を送っていた。今思い出しても、あまり家での楽しい思い出が無かったりする(というかあまり思い出せない)
15歳といえば中学3年生。まさに多感なお年頃で、元来好奇心旺盛な性格が裏目に出たのもあり、その頃の私は本気で生きている意味が分からなかった。
だって我慢や不安がデフォルトで何も楽しくないし。周りにも、電気やガスが止まるとか親が帰ってこなくなるとかで悩んでいる子なんていないわけで話が合わないのである(笑)
周りの世界と自分の世界とが違いすぎて本気でついていけなかった。「なんでそんなにみんな楽しそうやねん」と思っていた。
いろんな本を読んで答えを探したし、周りの大人に聞いても納得する答えなんて誰もくれなくて、終いには「そんなこと考えたらだめだ」とか言われて純粋に「なんで?」ってなった(笑)
私にとっては、純粋な「なぜ?」だったのだが、たぶん第三者から見たら、病んでいることこの上なかったのだろう(笑)
しょっちゅう「なんで生きているんやろ」って思っていた。というか、それがデフォルト過ぎた(笑)
生きる理由は「楽しむため」
そんな子供時代を過ごしたので、大人になってからは世間一般的な「普通」に囚われなくなった。住み込みの仕事でお金を稼いだりしつつ、いろんなところを放浪したりもした。
で、そんな中でいろんな価値観の人と出逢った。
そんな中でふと、「あ、生きる理由は楽しむためだ」と思った。
これが答えだ!と言えるような「生きる理由」なんてものは存在しなくて、生き物はただ「生きている」。たぶん、犬や猫などの動物も「なんで生きているか」なんて考えていないし(本当のところは彼らにしかわからんけどw)、たぶん生きる理由なんてものは存在しない。
生き物が好きで、亀やカエルを飼っていた時期もある。でも彼らもたぶん、「なんで生きているか」なんてぜーんぜん考えていない(笑)
のんきに日光浴してたり、
お風呂入ってたし(笑)
でも人間は考える生き物だから、「ただ生きる」が難しかったりする。理由を探してしまう。んで、しんどくなってしまう。自己肯定感が低かったりすると余計に。
だったら意味や理由は自分でつけてやればいい。私は自分で、楽しむために生きようと思ったのである。
長年の疑問であり、苦しみでもあった「なぜ?」の答えが出た瞬間だった。
まとめ
子供のころから感じていたことだったし不思議だったけど、たぶん多くの人は、生きている理由なんて考えないんだと思う。(てかそのほうが正直幸せだとは思う(笑))
でも、考えだしたら止まらんくなってしまう人もいるわけで(ワシとかワシとかワシとかw)。精神的に弱ってて深刻に考えてしまった場合は、思い詰めて重症化しちゃったりもする。
でも唯一無二の答えは存在しないから、自分で意味や理由をつけることが大切なんだと思う。自分でどう生きるのかを決めちゃえばいいのだ。
「何のために生きているのか」の私の答えは「楽しむため」、だからワシは楽しく生きる(笑)
そう思ってからめちゃくちゃ生きることが楽しくなったので、もしあなたが同じようにお悩みなら参考にしてみてちょ。
いろんな本を読んでみるのもおすすめ!特にアドラー心理学の考え方は、心が軽くなる人多いと思うよ♪